最初に書いた「Evernoteさん、雑に使ってごめんなさい」にいただいた反応と、他の方がお書きになった記事を読んで思い至ったことを書きたいと思う。(以下、埋め込みにするとあまりに場所を取るので手動リンクにしています。)
Evernoteに関しては、「使えている時は使えている/うまく使えた期間がない」「やがて使わなくなった/今も現役で使っている」の二つのステータスについて考える必要がありそうである。
もちろんあらゆるツールについてその二つのステータスがあるのだが、Evernoteは2010年頃にデジタルの情報管理に関心があった人の多くが通ったツールであり、おそらくそれぞれが結構な量の情報を保管しており、未だ開発は続いていてデータの扱いに困るわけではなく、それにもかかわらず使われなくなったケースが多いという少し特殊な位置づけにあるツールのように思える。「なぜ」を問うことには大きな意味がありそうだ。
今も活用しているGo Fujitaさんと研究室のEvernoteさん、前はうまく使っていたけれども今は使っていないえむおーさんとtasuさん、うまく使えた感触を持たないまま使わなくなった私。それぞれの話を眺めて思ったのは、「取り出す」頻度の違いである。他の方々が実際にどういう風にお使いになっていたか、具体的にはわからないので想像になってしまうところはあるが、「仕事や研究」で使うのと、「個人の関心」のために使うのとでは、おそらくその点に大きな違いが生じるのではないか、という推測を抱いた。
仕事や研究のために資料・書類を集めておくという場合、その情報を後で取り出す可能性というのはかなり大きいものなのではないかと思う。結局二度と出してこなかったという情報は、そうでないものよりどちらかといえば少ないのではないだろうか。読み物の収集にしても、実際的な意味で「後で読む」ために保管することが多いように思う。
一方で、個人の関心のために情報を集めるとなると、本当に「これはいい!」「これは興味深い!」と思ったものだけ厳選できるならいいが、そうできない場合「ちょっと興味があるかも」みたいな曖昧な基準で大量の情報を集めすぎる可能性がある。到底、熟読・熟考し得ない量の情報を集めてしまい、結局見返さなかったということが多々発生する。そもそも、一度読んだ時点で用は済んでいるのに、「消えちゃうともったいないから」といった理由で「念の為」保存しておくということもよくある。そういう情報は後々見返す確率はかなり低い。(そういったものを溜めるのは無駄、ということではない。)
Evernoteの有用性というのは、一番には「保存しておいたものをさっと取り出せる」というところに感じるものなのではないかと思う。そうできるシステムをEvernoteが備えているということと、そしてEvernoteを使う中でその良さを実際に体感するということで、ユーザーがその有用性を実感する。「さっと取り出せた」という体験をしなければ、Evernoteのシステムのすごさを頭で理解はしていても、それを実感できていないので、「ここがEvernoteの素晴らしいところだ」と惚れ込むこともなく不完全燃焼に終わるのかもしれない。
個々人の性質の違いもさることながら、Evernoteを使い始めた最初の時点で「仕事・研究用」と「個人用」のどちらをメインとしたかで、「Evernote体験」の質が随分違ってしまうのではないかと思った。取り出す可能性が高い情報ばかりを集めたならば、実際に取り出す経験を重ねるので、Evernoteっていいなとしみじみ思える気がする。
利用を途中でやめたか継続しているかということも、「取り出す」頻度にかかっているような気がする。
えむおーさんもtasuさんも、環境の変化でEvernoteを使いにくくなったり使えなくなったりしたことで、以後すっかりやめてしまうに至ったようである。よくよく思い返すに、私も環境の変化でPCを使う時間が減りスマートフォンがメインになったタイミングでEvernote離れが決定的になったように思う。Evernoteが備えていた固有の機能に物足りなさを覚えたとかではなく、スマートフォンアプリの出来がいまひとつであったことや「重い」「遅い」「不安定」といった理由によって、情報を「さっと取り出す」ことがスムーズに行かなくなった。「保存する」のは変わらず簡単でも、「取り出す」のが億劫になってしまうと「別にEvernoteじゃなくてもよくない?」という気持ちがじわじわ生まれてきてしまうのではないか。
また仕事や研究で使っている場合には、その内容がいつまでも必要なわけではない。同じ種の仕事・研究を継続しているならその限りではないが、何かのきっかけでそれまで蓄積した情報にアクセスする動機を失ってしまうと、代わりに溜め込むべき何か(そしてそれをEvernoteに溜め込む熱意)がなければあっさりとEvernoteから離れてしまうことになるのかもしれない。
こう考えてみると、もしかするとEvernoteというのはツールへの愛着より機能を重視してしまいがちになる要因を持っているのかもしれないし、どこかしらカチッとし過ぎているとか重厚過ぎるとか、使うために気合めいたものが必要になるツールなのかもしれない。(そのあたりについてはまた改めて考えられたらと思う。)
個人の情報整理環境を考える時に、「その良さを実際に体感したか」は非常に影響の大きい項目だなぁと私も思います。(組織の対義語としての)個人の環境構築は、基本的にその人に裁量権が与えられているからですね。
そして「その良さを実際に体感したか」を測定する指標として、「取り出す頻度」を挙げられていたのもその通りだと思いました。
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加えて、(意味するところは、かなり重なるかとも思いますが、)私個人の経験でいうと、情報を「取り出すトリガー」が決まっていたことも大きかったように思います。Evernoteに保存していた情報は、いわゆる「タスク」や「プロジェクト」の下位にぶら下がる情報がほとんどでした。それぞれが、どのように取り出す情報か決まっているものです。情報は大量でしたが、Evernoteには、このような情報整理レベル1(勝手につけました。)の情報ばかり保存していた気がします。
これが、「何に使うか分からないけど、良いかもしれない」みたいな、情報整理レベル99(てきとうです。)の情報となると、使用体験は大きく異なっただろうなぁとも思います。取り出せたら良いときに取り出せず、関係ないときに目に入る(そして、「あの時取り出せていれば良かったのに」と思ったり)と、ツールに対する信頼は損なわれるなぁと。
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Evernoteは、振り返ってみると、情報をシステムに「取り込む」ことのすごさ(取り込み方法の多様性、特定の情報を自動取り込み、などなど)を強く推されていた気がします。
ただ、情報をシステムに「取り込む」際、同時に、その情報を「どう取り出すか」をデザインしないと破綻してしまうのかもしれないと思いました。
やっぱり「何に使うか分からないけど、良いかもしれない」情報の難易度が高いですね。2hopリンクは一つの解かと思いますが、他にも何か方法がある気もします。(「何に使うか分からない」ことについて、言語化(・細分化)する必要がある気がしますが、ちょっとコメントが長くなりすぎてしまいました…。)