tksさんと倉下さんのこちらの投稿を読んでいてひとつ思ったのが、「写真とスクリーンショットはなんぼあってもいいですからね」ということです。
普段写真をたくさん撮る人というのは少なくないと思います。しかしそのような人でも、「ありとあらゆるもの」を撮っているかというと、おそらくそうでもないでしょう。風景や植物、食べたものなど「心が動いたもの」については、写真に撮っておこう!という気持ちが生まれてうきうきとシャッターを押すものですが、淡々と記録するための写真は前もってこのタイミングで撮ると決めておかないとなかなか撮らないように思います。
何事も無目的に機械的にやると後でノイズになり、もちろん写真やスクリーンショットも例外ではありません。誰かと会ったり旅行に行ったりイベントに参加したりするたびに写真を大量に撮るけれど…というケースはよく耳にします。実際の光景を自分の目でまともに見ないで終わったという反省が生まれることもあるでしょう。
ですが、「記録」のための写真やスクリーンショットを「多すぎて雑然として困る」というほど残すことはまずない気がします。撮っておけばよかったと思うことはあっても、こんなに撮るんじゃなかったと思ったことは今のところありません。
撮り過ぎよりも「何の記録か」がわからなくなることが問題で、それは数の多さによるものではないでしょう。「撮影する」という動作が完了した時点で用が済んだ気になって放置しがちですが、写真が記録として成り立つための手入れはどうしても必要です。
基本はやはり文字情報として日記や日誌に残し、プラスアルファとして写真やスクリーンショットを撮っておくというのがよいでしょう。写真を撮ったからいいや、という判断は後から困る可能性があります。
しかし写真もスクリーンショットも極めて簡単に撮れる時代になっているのですから、全てをどうにか言語化して文字で記録しようと頑張らなくてもいいわけです。そういう時代になってから既にかなりの年月が経っており、画像での記録がとっくに当たり前になっている人は普通にいると思いますが、私は今のところそこまで記録としての撮影が日常のものにはなっていません。「あ、撮っておけば楽か」とたまたま思い至ったら撮る、という状態です。
なので、記録のジレンマを乗り越えるためにしろ、嬉しさを増やすためにしろ、ツールの様子の変遷を歴史化するためにしろ、その前提として写真やスクリーンショットを頻繁に撮ることを習慣にしたいなと思いました。