以下の投稿を読みました。
次のパラグラフが印象深いです。
そこで、記録の活用を目指さないという考えも大切になってきます。DayOneなどで感じることが多いですが、自分で見返すか、システムで見返すかは問わず、記録を見返したときに何とも言えない楽しい、嬉しい気分になることがあります。こういうとき、記録してよかったと純粋に思えて、役に立つというものとは別の記録のジレンマを乗り越える原動力になります。
たとえば、CapacitiesのPhotoを開くと以下のような画面になるのですが、
単に見るだけで、じんわりといいな〜という感じになります。役に立つとか立たないとかのその手前にある「いい感じ」が得られるのです。
思い返してみると、Evernoteだって似たような形で「記録」を残していました。
現状のUIだと、サムネイルが小さくなっていてCapacitiesほどの「いいな」感がないのが残念ではありますが、ともかくこうした「記録」は役に立つ、立たない以前の「いい感じ」に貢献していたことは間違いありません。キーワードで言えば「ライフログ」ですが、この言葉も内実が検討されないまま流行し、そして廃れていった感覚があります。
ともあれ、上記は写真ですが、それだけではなく、小説を読んでいて出会った名セリフとか、好きな歌の歌詞とか、かっちょいい名言とか、そういうコレクションにも似た感覚あります。役に立つ、立たないの手前の嬉しさ。じんわりと温かい嬉しさ。
それはまさしく「なんとも言えない」ものであり、だからこそ価値があるのだとも感じます。
理性的に分析すれば、そのようなものたちは自分が注意を向け、好ましいと思ったものを集めているわけで、言い換えればfavorite collectionです。見ていて嬉しくなるのは当然でしょう。でも、実践においてはそのような感覚はごく薄いと思います。何気なく記録して、見返したら何だか嬉しい・楽しい。そういう関係。
村上春樹さんは、「小確幸」という言葉をよく使われます。小さいけれども、確かな幸せ、という意味です。生きていく上で、決して軽んじてはいけない要素でしょう。
たぶんそれと同じように、少しずつ自分の心を暖めてくれるような嬉しさというものもあるのでしょう。あえて名づけるなら徐温嬉(じょおんき)です。
それは急激にテンションを高めるような働きはありません。ほんとうにじんわりと嬉しさをもたらしてくれるものです。あぁ、いいなと素朴に思えるもの。
内実はなんであれ、そういうものが生活の中にあることは rich なのだと個人的には思います。