以下の投稿を読みました。
二つ、大切な点が示されているように思います。以下の箇所です。
実際にNotion上では、こうした私が恣意的にした分類(tks.Decimal)とオブジェクトの特徴ごとに情報を集めて整理しています。たとえば、この投稿をNotionに保存するとしたら、「41 知的生産の実践」の中の「41.11 ナレッジ発表」内のデータベースに保存します。ややこしいことをやっているようにも見えますし、Evernote時代のノートブックによる階層整理と同じことしているようにも見えますが(実際そうなのかも?よくわかっていない)、私の中ではかなり自然な流れで情報を保存できています。
ここでは、「恣意的な分類とオブジェクト」という二つの軸が提示されています。まずこの概念をピックアップしておきましょう。
続いて以下の箇所。
最初の4という数字は私の中で知的生産と関連付けられていますし、そのあとに続く1という数字は他人ではなく自分がした知的生産というイメージと関連づけられているので、とりあえず41という数字が思いつくわけです(伝わるのか?)。Notionではcmd+kで検索ができるので、そこに41と数字を打つと目的のページ(データベース)に辿り着くことができるわけです。
実際にやっていないとこの感覚は通じにくいでしょうが、私はよくわかりました。私も少し前から自分のテーマをナンバリングを用いて整理するということをやっているのですが、ある程度続けていると、「ああ、これは情報の整理についての話だから2の2だな」という感覚が湧いてきて、すぐにタグづけできるようになります。
当然その感覚は、情報にタグをつけるときだけでなく、情報を探すときにも生じます。「情報整理についてだから、2.2を探そう」と手を伸ばす場所が自明になるのです。
この「場所」という感覚。これがピックアップしたい二つ目の大切なポイントです。
今ここで二つのポイントを論考するのは避けて、「場所」についての雑考を記すに留めます。
まず操作感覚としての「場所」があります。たとえば、2.2のタグは画面のあの辺に表示されているぞ、というイメージ。これは操作する対象を場所で覚えているということで、Evernoteを使っているときはよく生じていました。頻繁に使うノートブックは、そのタイトルを見なくてもすぐにクリックできますし、何かしらでその順番が変わってしまうと目的のノートブックを見つけるのに苦労します。
画面上の場所が、操作を助ける。
この意味での「場所」というのが役立つことは間違いありません。
しかし、上記で出てきた「場所」はもう少し違った意味を持っています。
数字という順番
*.Decimalのポイントは、固有の分類を作ることだけでなく、そこに番号を振る点にあります。
番号を振ってしまうと、自由な移動操作ができなくなり、フレキシブルさが失われてしまうのでモダンな情報整理では好ましいとは思われていません。私もずっとそう思っていました。番号など振らずにフラットに並べる形こそが「正義」だと信じていたのですが、最近その考え方が変わりつつあります。
「2.2は情報の整理について」というような認知が働くこと。
考えてみるとこれは不思議なようでいて、むしろごくまっとうな話でしょう。人の記憶は付随する情報が多いほど(コンテキストフルなほど)覚えやすいものです。「情報の整理について」だけを記憶するよりも、「2.2は情報の整理について」を記憶する方が楽チンなのです。
それだけではありません。2という数字は、単なる数字のように思えますが、そうではありません。2は、1の次であり、3の手前の数字です。当たり前ですね。でも、その当たり前は考えてみると結構高度な情報が織り込まれていることがわかります。
私たちは2を2としてだけ受け取っているのではなく、1の次、3の手前のものだとして、つまり「順番」として受け取っているのです。
順番的感覚。
その感覚は、私たちが生物として生き延びる上で重要な「場所」の感覚を転用したものでしょう。私たち人間という生物は、この物理空間で生きて行く上で「場所」を把握する能力を持っています。それは生きている中で訓練され、物心がついた頃にはほとんど意識されなくなっている(≒深く身体化されている)能力なのです。
何かしらの概念・テーマ・領域・分類を、自分自身が「使える」ようにするために、その場所の感覚を利用する。これが、*.Decimalの一番のポイントです。
ただリスト形式・階層構造形式で並べるだけでなく、そこに「数字」という強く順番感覚を伴う記号とセットで並べておく。それだけで、私たちの情報把握感覚はぐっと強まります。
「恣意的な分類」+「ナンバリング」の旨味成分はそこにあるのだ、ということを本稿では確認しました。ここに「オブジェクト」という観点を合わせることで、ポスト・ポストモダンな情報整理の原理が立ち上がってくる……というと大げさですが、いろいろ考える材料になるかと思います。
ナンバリングとか綺麗に分類しようとするといわゆる「コウモリ問題 」が起きませんか?あと多岐に分類すると自分でわからなくなるとかそういうことはないのでしょうか?インデックスを別途作って持っておくとかしないといけないので、そのための超整理法(野口悠紀雄)ではないのかと思っております。
基本インデックスは日付(by山根一眞)で個人的には整理しているつもりです。
記憶術でも数字や場所を扱う手法があったはずで、ナンバリングを使って情報を見つけるのはその感覚に近いのでしょうね。
順番というのは明確に意識していませんでした。ですが、無意識には順番を使っていることに気づきました。というのも、41は自分、42は他人の知的生産と区分しているのですが、1は自分、2は他人といったように、どうしたって自分の方が他人よりもまず先に来るだろうという感覚からこの順番になっています。