2 Comments
author

わかりました!(詳細→ のらてつさんの「前回の投稿」"https://tunnellingchannel.substack.com/p/b87" のどの部分に私が反応したのか、反応したかったのか、今になってわかりました) 

自分を知りたい。それはとても大事なことでしょう。でも他人からのクエスチョンに動じなくとも自分は「自分」でいられるのでないか。そこが気になって投稿させていただいた様です

さて、のらてつさんが中島みゆきの曲名を示されたので(利用してる音楽配信サービスで聴けるのであれば、あとでゆっくり聴いてみますね)、私は自分が好きな音楽グループのアルバムタイトル(確か、そうだったと思う)『国境線上の蟻』を思い出しました。

蟻は、ヒト社会が決めた国境線もかまわず渡る。なぜなら蟻は向こうの国に行く目的があるから(餌探しなのか、自分の巣の防衛なのか…… 何か目的があるのでしょう)。国境を守る兵士も蟻ごときに小銃を向けることもなく、平和に時が過ぎていく。タイトルからそのように想像しました

私は絶望的に文章が下手なのでなぜ、のらてつさんに『国境線上の蟻』という言葉を紹介したくなったのか、シンプルに説明できません。できればchannelに投稿して補足したいと思います。

では、中島みゆきの音源を探してみます。

Expand full comment
author

ありがとうございます。なるほど!

.

>でも他人からのクエスチョンに動じなくとも自分は「自分」でいられるのでないか。

「自分」が「絶対的に存在する(絶対的にこういう存在なのだと自分で把握する)」ということの重要性がどれだけあるか、ということかなと思いました。他の生物がただ一個体として生きているように、ヒトである自分も生きればいいのではないかと。なんとなくですが、仏教的な悟りの道を想像しました。多分、とても重要な問いだと思います。

.

「国境線上の蟻」という言い回しにはなんだかいろいろなことを想像させられますね。蟻は蟻の世界に生きているのであり、ヒトの決め事など知ったこっちゃない。蟻には蟻の苦難はありますが、人間が無限に繰り返している「自縄自縛」と無縁であることは、悩める人間にとってはふと崇高な生き方に思えてしまうのかもしれません。

.

>私は絶望的に文章が下手なので

いえいえ、そう強く自己批判なさる必要は全然ないかと。(若輩が生意気にすみません)

もし『国境線上の蟻』についても思いが言葉になったならば、ご投稿いただければ私は嬉しいです。トンネルChannelは時間がかかっても全然構わないのが良いところ!

Expand full comment