自分のことばが生まれるメカニズム
トンネルChannelで公開された以下の記事が頭に残っていました。
自分の言葉とは何か (めがにいさん)
「自分の言葉」を模索する (倉下忠憲さん)
ここでは、「自分のことば」と呼ばれていることばについて、ぼくが思いついたことをかきます。
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自分のことばをもった文章をかくためには、その人が語ろうとしているテーマをある程度理解していることが大切だと思っています。
個人的な経験を思い出すと、テーマを理解している人は、その内容を他の人に説明できることが多いでしょうか。
そして、説明した相手が分かっていないように見えたときには、手を変え品を変え、ちがうアウトラインをつかって、あるいはちがうことばをつかって説明できるように感じています。
つまり、そのテーマを理解している人は、語ろうとしているテーマに関するアイディアを再構築できる可能性が高いのではないでしょうか。
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でもたぶん、理解だけでは自分のことばをもった文章をかけないことも多い、という印象ももっています。理解の他に何が大切なのでしょうか。
これも個人的な経験ですが、その人のことばで語られていると実感した文章には、そのテーマに対する、その人の生きる姿勢が伝わってくる文章が含まれている場合が多いと感じています。
生きる姿勢とは、日々の生活で出会ういろいろな意思決定の集まり、といえばいいでしょうか。
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テーマは難しいものに限りません。他の人からみたら、とても小さな問いのように見えるものが多いでしょうか。
たとえば、さっきBlueskyで見たあのかっこいいメカニカル・キーボードを買うか買わないか。
あるいはそのキーボードのスイッチのキー荷重は軽いもの(25グラム)にするか、重いもの(60グラム)にするか。
(キーボードばっかりですね.. ( ͡° ͜ʖ ͡°)v)
社会の多くの人にとってどうでもいいテーマ(笑)に対して、その人がどれくらい時間をかけ(あるいは時間をかけないように努力し)、どのような思考のプロセスをとって、どのような答えの案を自分に提案し、どんな行動を選んできたのか。
ぼくたちの生活は、何をするかしないか、小さな意思決定の連続です。そして、とくに意思決定と真摯に向きあうときには、その答えの案には、いくつかの大切なことばが付いてくるように思います。
そして、その人がたどった意思決定のことばの組み合わせから「自分のことば」が生まれてくるのではないでしょうか。
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ぼくが大好きなブログ「23-seconds blog」をかいているHibiki Kurosawaさんと、キーボードのキー荷重についてやりとりしたとき、返信にこんなことばがありました。
キーボードは、入力する以上に、操作する感じです。やけに軽いキー荷重を私が好むのは、このあたりに事情があるのかもしれません。
「キーボードは、入力する以上に、操作する感じ」は、ぼくの長いおっさん人生で初めて出会ったことばです。
皆さんにお伝えしたい「自分のことば」の最新チャンピョンです( ͡° ͜ʖ ͡°)b
(おしまい)


私のことに言及いただき、ありがとうございます。自分では、自分の言葉というものを特に意識したことがありませんでした。確かに、キー荷重が軽いものが好きであることについて、私は、時間をかけて真摯に考えてきたと思います。自分のことだからです。自分とはある程度自分が為していることなのであって、自分は連続的に自らを創造しています。
顧みるに、自分のことだからなのか、誰かに語ろうとも思っていませんでした。誰かに語ろうと思っていなかったというのは、よいことだと私は思います。自分とはある程度自分が為していることなのです。
そして、
> あるいはそのキーボードのスイッチのキー荷重は軽いもの(25グラム)にするか、重いもの(60グラム)にするか。
25グラムがよいと思います!