さて、前回の投稿で「箇条書きではなく、自分の言葉で自分の色をもつ文章を書く」と言ったものの、私は自分の言葉や自分の色というものをどのように捉えているのでしょうか。
今回は「自分の言葉とは何か」を自分の言葉で書くことを試してみます。
私がいま「自分の言葉とは何か」と自分の言葉で書くならば、次のような表現になる。
「自分の言葉」は他者との対話の中で生まれる。「自分の中にある思いや考えは何か」、「相手に何を伝えたい(教えたい)のか」を自問自答するとともに、「どのようにしたらうまく伝わるか」と相手のことを考え、表現しようとするときに自分の中から引き出される言葉である。その言葉には、血の通った自分の色がつき、そこに個性やオリジナリティが宿る。
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まず前提として、「自分の言葉」として語るべき思いや考えが自分の中になければならない。寝て、起きて、食事をする。本を読み、誰かの話を聴き、何か新しいことを体験する。日々生活するなかで、興味関心があるものに対して思いや考えを育むことが必要である。思いや考えといっても決して高尚なものでなくてよい。一人ひとり歩んできた道は異なるのだから、受け取る情報が同じでも感じ方はさまざまになるはずだ。人によって異なる感じ方の中に、他の誰でもない自分にしか語れないことが見えてくる。
また、「自分の言葉」には他者の存在が欠かせない。文章であれば読者であり、スピーチであれば聴衆である。たとえ、自分以外に公開しないものであっても、未来の自分がオーディエンスだ。他者を考えずに語る言葉は、ひとりよがりで一方的な、その場限りのものになる。その言葉は書いた本人ですら数日後、数ヶ月後には何を意図していたのかわからなくなるであろう。
そして、「自分の言葉」は借り物であってはならない。読んだ本をただ書き写したり、聞いた話をそのまま請け売りで話をしたりするとき、きっとその言葉を理解せずに使っている。そのときの言葉は、自分の中から引き出された自分の言葉ではなく、借り物の言葉だ。見聞きしたときの文脈とまったく同じあれば、オウム返しでも相手に通じるかもしれない。しかし、その言葉が発せられた背景や意図を理解していないので、文脈を越えて応用できない。血の通った言葉にもならないだろう。
自分の言葉を書く・話すためには、自分の中の思いや考えを育み、未来の自分を含めた他者との対話のなかでの自問自答と他者を意識した表現が肝要である。実践するには頭を使う。面倒で時間のかかる作業だ。しかし、負荷がかかるからこそ、意味があり、試みる価値はある。
直近読んだ本に強く影響されています。しばらく経ってまた同じように書き下すときには言っていることが変わっているかもしれませんが、いまの自分の言葉をここに残します。
参考文献
細川英雄. 『自分の〈ことば〉をつくる あなたにしか語れないことを表現する技術』. ディスカヴァー・トゥエンティワン, 2021年.
五藤隆介(著), 五藤晴菜(イラスト).『アトミック・シンキング: 書いて考える、ノートと思考の整理術』. Kindle, 2022年.
木暮太一. 『「自分の言葉」で人を動かす』. 文響社, 2016年.
日本エッセイスト・クラブ. 『エッセイの書き方』. 岩波書店, 1999年.