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私も前半部分のお話をとても面白く感じて何周か読み返しました。なんと表現したらいいのかわからなかったのですが、tksさんのご感想に「それ!」という気持ちでいます。

>はじめは、わが家の「テレビゲームは週に2時間まで」ルールに抗うために、自分で作ることを考えたような気がします。

ここに工夫と熱意の源がありますね。「抗って、自分で何かをする」というのは年を重ねるほど対象が高度で困難なものになり、その結果自分のパワーを感じられなくなっていくのかもしれないと思いました。

>私にとっての「何者」であるのらてつさん

なんと、ありがとうございます。しかもnoteからということに大変驚きました。

tksさんのご感想と自分自身のことも併せて考えてみた時、「何者かになりたい」という思いには前提として「生み出す人間でありたい」という願いがあるのかもと思いました。たとえ仕事がうまくいっていても、それが欠けているときっと満足できないタイプなのだろうと。

そういう意味で「何者か」を考えるというのは、「何者かになりたい」と願っている人の中で多数派かどうかはわかりません。サンプルが僅かではありますが、同じ世代だとわかっているお二人と感覚がごく近く、一方巷に溢れる「何者とは」の語りに必ずしも共感できないことを考えると、もしかしたら世代によって「何者」像が随分違っているのかも、ということも思いました。

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ありがとうございます。ご記載いただいた「年を重ねるほど、抗う対象が高度で困難なものとなる」のは、まさになるほど!と思いました。どうにももどかしく感じるのは、自分が成長したからでもあるのですね。

「困難を分割せよ」は素晴らしい言葉であると思う一方、困難が大きくなってくると「どう分割したら良いかがそもそも難しい」問題に直面する気がしています。分割するための切り口(観点)の選択肢が増えるといいますか。「困難をどう分割するか」が最終的に「経験」や「センス」に依存するとしても、その一言で片付けてしまいたくない思いがあります。

今のところ(いまさらですが、)マンダラートの考え方(俯瞰、比較、有限化などなど)にヒントがあるのでは、と考えていますが、言語化できるほど自分の中でまとまっていません…。

世代の話は、そうですね、仰るとおりサンプルは少ないですが、無関係ではないと思いました。

「何者」もそうですが、抽象度の高い単語・表現は、「受け手がその単語にこれまでどのような文脈で触れてきたか」に添った解釈がなされるように思います。そう考えると、「何者」について、同世代で似た解釈がなされたのも、横並びの教育を受けた時期に、大人たちが「何者」について語っていた印象が強いからかなぁと。

この点は、(世代もそうですが、)バックグラウンドが異なる方に何かを伝える際に注意しなければな、と思いました。抽象的な単語は、なまじコンテキストが同一な方に便利に使えてしまう分、「思わぬ誤解」や「伝えたつもり」を生んでしまうかもしれないと思った次第です。(書いてみると当たり前なのですが、今回のやり取りで少し腹落ちしました。ありがとうございます。)

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前半部分のゲームの話、語彙力がなくて申し訳ないのですが、「なんかエモくてめちゃくちゃいい」と思いました。

こういう個人的な話こそ読みたいと思わされます。

何者とは何かを生み出すことができる人というのは個人的にはかなりしっくりきました。

私も消費する側だという自己認識があって、「何かを生み出すことができる人」に憧れがあるので。

最後に、私の投稿のきっかけの一つとしてtasuさんの文章は影響していることをお伝えしておきます。

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ありがとうございます。ゲームの話は「少しマニアックで伝わらないかもなぁ」。消費する側の話は「皆さんブログなどで生み出すことをされているので、理解はしてもらえないだろうなぁ。でももしかしたらtksさんなら分かってくださるかも。」と(こっそり)思っていたので、コメントいただけて嬉しいです。

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