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言及ありがとうございます。

共感ポイントが多すぎるので、その中でも特に共感したポイントにコメントさせてもらいます。

>そうなると、「自分を活かせそうなこと」ほどできなくなるおそれがあります。もしそうして大したことがなかったら耐えられないからです。その結果、わざわざ苦手な仕事をしたりして「そもそも活きるはずがないことだから失敗しても仕方ない」という保険を無意識にかけてしまったりもします。置かれた場所で咲きなさいという言葉がありますが(それもそれで尤もとは思いますが)、わざわざ咲きにくいところに自分を置いてしまう悲劇があります。「活かそうとしない」方が「活かしてみたけど大したことなかった」より一層損失は大きいと思うのですが、可能性が決定的に閉ざされる苦しみよりかは精神的にマシに思えてしまうことがあり得ます。

うわー、これわかると思いました。

こうやって文字になるとなかなか不幸な状態ですね。

>もしその確信によって「何者かになりたい」「何者にもなれない」という苦しみから解放されるのだとすれば、「ここではないどこか」に自分の心を向けさせている最大のストレス源は、自分の「何者でもなさ」そのものよりも、「自分が何になりたいのかわかっていない」という曖昧さなのかも、と思いました。私たちはそれを思い描くことを強いられましたが、その難しさについて教えてくれる人はいなかったのです。

これはその通りだと思います。世代ゆえか、若さゆえかわからないですが、結局どうすればいいんだといった気持ちは常に感じて生きてきた気がします。今になってみると、教える側の人もよくわかっていなかったんだろうなと思います。

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コメントありがとうございます! tksさんの記事は非常に刺激的で、自分の中に積み上がってしまっていたものを雪崩のように語り出してしまいました。

>結局どうすればいいんだといった気持ち

本当にそうなんですよね。十代ではそもそも無理難題だったのでは…と今なら思いますが、当時は大人も私たち自身も「自分のことなんだからちょっと自問自答すればはっきりするはず」と信じていた気がします。そして何も見えない時(単純な像ではしっくり来ない時)、「とりあえず今の自分よりすごい何か」というぼんやりした像を自分の中に据えてしまうのかもしれません…。

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