ツールと出会うときの欲望
tksさんの投稿では、ツール使用時における欲求の「開発」(そう呼んでもいいでしょう)が段階的に整理されました。
既存ツールを使うことで欲求(必要)を自覚する
既存ツールを使い込むことで欲求が満たされる、同時に不満(不要)が自覚される
その不満を解消するために行動する
だとすれば、気になるのはツールを使う前、もっと言えばツールと出会ったときの当人の欲求についてです。
現代において、人はツールと突然に出会うのではありません。登校途中に角から走り込んできた女子高生にぶつかられるような meets は稀で、むしろ誰かから紹介されることがほとんどでしょう。
ではその際、どんな紹介のされ方がそこでなされるでしょうか。「これはこういう用途で便利です」「私はこう使っています」。そんな文脈を添えた紹介が多いのではないでしょうか。そして、そうした紹介に駆動されるからこそ、ツールをちょっと触ってみるのではないでしょうか。
その意味で、現代におけるツールとの出会いはすでに文脈が織り込まれています。タブララサではありません。他者の欲求に駆動される形で、自らの欲求がスタンバっているのです(ルネ・ジラールの議論を思い出してもいいでしょう)。
厳密にフラットな形でツールと出会うならば、おそらく「既存ツールを使うことで欲求(必要)を自覚する」というステップはスムーズに進むでしょう。しかし、実際はフラットではなく、欲求が織り込まれています。というよりも、それは欲求ではなく、欲望と呼ぶのがふさわしいでしょう。
ここでは、欲望は他者(の欲望)に駆動されるものを指し、欲求は自らの身体(認知も含む)が求めるものを指します。おそらく、この区別がここでは決定的に重要で、その重要性は現代の情報環境においてクリティカルに効いてくるのではないかと大風呂敷を拡げたいところですが、ここではやめておきましょう。
私たちはまず欲望を持ってツールと出会い、その後段階的に自らの欲求に自覚的になっていく。
そういうステップを踏むのではないか。そんなことを考えました。

