さあ、新しい対話をはじめよう
見切り発車で、新しい試みをスタートしたいと思います。
これまでにあった(そしてなかった)形の「対話」です。
大ざっぱな構造
構造自体は至極簡単です。
私が作ったこのSubstack「トンネルChannel」に共同執筆者として参加してもらう。そして、記事を書く。それだけです。
Substackはニュースレターのシステムなので、記事を投稿(post)すれば、それがメールの形で購読者に届きます。もちろん、それは共同執筆者も同じです。
つまり複数人で運営するニュースレターは、(懐かしい)メーリングリストと同じような構造になるわけです。
だったら普通にメーリングリストを運営すればいいのではないかと思われるかもしれませんが、Substackを使えば、そのようにやりとりするメール(post)が記事としてWebに残りますし、その上、共同執筆者ではない購読者の受信箱にも届くことになります。
つまり、「メーリングリスト」でもあり「ブログ」でもある、というようなハイブリッドな運用形態が作れるのです。
だったらブログにすればいいのではないか、と思われるかもしれません。各々がブログを作って、互いにRSSでフォローしあえばOKじゃん、と。
その場合、二つ問題があります。RSSのフォローは自発的なものなので「漏れ」が出てきてしまう点。さらに、「外部」から見たときに、文脈が追えないことです。これでは内輪だけの盛り上がりで終わってしまうでしょう。
後から参加した人でも、それまでの話題を適切に追いかけられるようにすること。これが、今始めようとしている試みの一つの特徴であると考えています。それって、結構大切なことではないでしょうか。
重ね合わせの性質
この試みは、基本的に「Aでもあり、Bでもある」という多重の重ね合わせを目指しています。
だから、それぞれのPostは、共同執筆者に向けた「手紙」として投稿されることになります。想定読者は、その人たちでOKなのです。一方で、それは一つの記事としてWebでも閲覧できます。閲覧できるからこそ、後から参加した人が追いかけられるのです。
よって、ある程度は「人が読める文章」で書く必要があります。でも、そもそも手紙とはそのようなものでしょう。ただ単に「不特定多数」を意識するのではなく、共同執筆者群に向けて書くことを意識すればいいだけです。
手紙でもあり、記事でもある。
そんな新しい媒体の形で文章を書いていったらどうなるのか。それを確かめるのも、この試みの一つの目的です。
叢話
最初に「対話」と書きましたが、一対一のやり取りではないので、若干ニュアンスがずれるかもしれません。かといって、「発信」というほど不特定多数を意識した文章でもないでしょう。
あえて造語するならば、叢話(そうわ)と呼べるかもしれません。ある種の集まりの中で行われる「話し」。それがトンネルChannelで実現したいことです。
ツイートのように140字の制限があり、前後の文脈がロストした状態では、どうしても議論できる範囲に限りがあります。かといって、皆がブログを持ち、不特定多数に向けた論説文を書け、というのも要求するハードルが高いでしょう。
だからこそ、昔ながら「メール」の形をとりながら、それを「記事」として使い、一つの文脈の集まりを形成することに意義があるように感じます。
PVを目指さなくていいし、アフィリエイトも無視していいが、それでも「文章の形で自分の考えを他人に向けて表すこと」を生活の中に加えていくこと。それが現代的な知的生産の一番身近な在り方なのかもしれません。
ともあれ、あまり長くなってもアレなので、今回はここまでにしたいと思います。
もし、共同執筆者として参加したいという方がいらっしゃれば(ぜひどうぞ)、コメント欄にその旨を記入いただくか、私(tadanorik6@gmail.com)にメールを頂くか、Twitter(@rashita2)にDMをいただければ、メールアドレス経由で招待メールを送信します。
別に気負う必要はありません。近々はじまるらしいTwitterのnoteのようなもので、ちょっと長めの考えや意見を書ける場所だと思ってもらえれば十分です。
では、では。