以前書いた投稿に想定していたよりも多くの反応をいただき、大変嬉しかったです。
1人で考えていただけでは到底考えつかなかった反応をいただいて、文字通り世界が広がった感じがします。
中には、文章を褒めてくださった方もいて大変嬉しい反面、少し誤解もある表現だったかなと思ったので補足をします。それは、「発信してこなかったは本当だけど、言語化してこなかったは言い過ぎたかも」というものです。
仕事柄文章を書かなければいけないので、この10年くらい文章を書くことはしてきました。そのおかげで、ある程度時間をかければ他人が読んで理解可能な文章は書けるようになったと思います。学生の頃は下手すると主語と述語が一致しない文章を書いてしまうレベルだったので、我ながらその部分は進歩したと思います。ただ、何者問題のように仕事とは関係なく自分が考えていることを言語化したり、ましてや発信したりすることはありませんでした。そこそこの長さで書いてみたのはほぼ初です。
あとここ1、2年の割と最近の話なのですが、Zettelkastenや『知的生産の技術』を参考に、1カード1内容方式で書いていることと、デイリーノートや日記を書くようになったことは文章力や言語化の技術に影響していると思います。1カード1内容方式は、1つのカードの中で話が通じる文章を書くことが必要ですし、デイリーノートや日記も、過去に書いたものを見返すときに何を書いてるのかがわからないともったいないので、未来の自分(=他人)がわかるように意識しながら書くようになりました。この2つは効果があった気がします。
でも前回の投稿は「あーでもない、こーでもない」としていたら3時間くらいかかったので、がんばってあの形になった感じです。もう少し早く書けるようになったらいいなと思いますが、それはもっと書いてから言えという話ですね。
長い言い訳はこれくらいにして、今回は「自分の中にあるものが面白いと確信すること」がトンネルChannelに書くきっかけとして大きかったという話を書いてみたいと思います。投稿者として参加するきっかけのひとつには、前回書いたような何者問題が関わっていたわけですが、「よし、書いてみよう」と決断できたのは、これより以前に自分の考えを他の人に面白いと思ってもらえた経験がリアルでもネットでもあったことが大きいです。
まずリアルの仕事の場面で、尊敬する先輩から自分の考えに対して、「なるほど、その考えはなかった。面白い」といった評価をしてもらったことがありました。決して自分を卑下するわけではなく、その先輩は私よりも能力や経験もある人です。そんな人でも私の考えは考えつかなかったし、面白いと思うんだという発見がありました。言ってしまえば当たり前のことなんですが、自分よりもすごいと思っている人に自分の考えを評価してもらえたことが私にとっては大きな経験でした1。
自分の考えが誰かにとっては価値があることを実感した経験だったわけですが、このときのポイントは、その考えが無理矢理ひねりだしたものではなく、自分が自然と思いついた考えだったことでした。要するに、自分が大して苦労することなく考えたことを評価してもらえたことがポイントです。ここから言えるのは、他人がおもしろいと思うことは、実は既に自分の中にあるのではないかということです。
もし前回の投稿を面白いと思ってくれた方がいたとしたら、それは私が本当に思ってきたことを書いたからだと思います。つまり、どこかの誰がが考えていることを持ってきたのではなく、自分がぼんやりとだけど考えてきたことを書いたからではないかということです。
もう一つは、『ブックカタリスト』の読書会コミュニティで本を紹介したときに、「その本のことは知らなかった、おもしろそう」という主旨のコメントをもらったり、逆に知らない本を紹介されて、「何それ、おもしろそう」と思う経験をしました。自分が興味があって買った本を他の人も興味を持ってくれる経験、あるいはその逆の経験をして、なんというか「あー、そっかそっか。ちゃんと面白いと思ってもらえるんだ」と納得した覚えがあります。自分の感性を面白いと思ってくれる人がいるんだとホッとしたような感覚です。ちなみにこれもただ単に自分が興味をもった本を紹介しただけだったというのがポイントです。
このリアルとネットでの経験で、面白さは自分の中にあると確信することができました。確信というと強い言葉に思えますが、「中には面白いと思ってくれる人は確実にいるだろう」と思えるようになったくらいの意味です。こうした確信がトンネルChannelに書く決断を後押しすることになりました。
このことは、読む人のことを考えていないということではないと思っています。そうではなくて、読む人のことを本当に考えるならば、つまり読む人に面白いと思ってもらいたいのであれば、自分が本当に面白いと思ったものや個人的な経験といった自分の中にあるものを書いた方が結果的に面白いと思ってもらえる確率は高くなるのではないかということです。
ここまで書いてみて、倉下さんがすでに変なことをしようで書いているじゃないかとも思ったのですが、まったく同じというわけでもないし、私が書くことにも意味があるだろうということでこのまま投稿したいと思います。
あとは、何よりも重要なのはトンネルChannelという場自体ですね。開きすぎず閉じすぎずな場所であることと、変なこと(=自分のこと)を書いてくださいという方針を示してくれていることで、この確信が揺らがずに済みました。
自分の中にあるものがおもしろい(=面白さは自分の中にある)ということは私にとってのポストEvernoteとも繋がる予感がしているので、機会があればそんなことも書いてみたいと思います。
飛躍をしますが、この話はシステム2は個人ではなく集団で使ってこそ力を発揮するという話につながると思います。1人の人間がすべてのことを考えることはできないので、色々な人の考えを集めて、社会としてシステム2を発揮することが必要という話です。