「何者」になるために書く
皆さん、はじめまして。tksと申します。
知的生産の話題などに興味がある30代半ばの男です。ラジオやポッドキャストを聴くことが趣味で、倉下さんとTak.さんの『うちあわせCast』や倉下さんとごりゅごさんの『ブックカタリスト』を聴いたりしています。もともとネットで発信はしてこなかったのですが、最近は『ブックカタリスト』の読書会コミュニティに参加して、発信とまではいかないけれど、ネット繋がりの人とコミュニケーション取れるようになって楽しいな、もっと取れるようになったらいいなと思い始めた人間です。
トンネルChannelも参加しようか、どうしようかと悩み続け、ようやく重い腰をあげて投稿者として参加するに至りました。2、3週間くらい悩みつつ日々の生活を送り、「ダラダラ考えても仕方ない。メール返信で参加希望送れるらしいからメールの下書きを書いてみよう。送るかどうかは後で考えよう」とメールの下書きをし、それから1日経って、「メールの下書きも書いたけど送ろうか、どうしようか。せっかく書いたのだから送ってしまえ、えいや」とメールの送信ボタンを押して参加させてもらいました。
自己紹介になっているかはわかりませんが、私はそのような人間です。さらなる自己紹介も兼ねて、今回は先日の倉下さんの記事「何者」とは何者かを読み思ったことを書いてみたいと思います。
私はこれまで「何者」になりたいと思って生きてきました。ここでいう「何者」は何かしら特別な人間という意味での何者です。「何者」になると言っても具体的になりたい像があるわけでもありません。「何者ってなんですか?」と聞かれたら、「何者は何者です」としか言いようがない漠然としたレベルです。何になりたいのかはわからないけど、何かにはなりたかったのです。
一方で、自分が「何者」になれないことも薄々感じながら生きてきました。学生の頃から運動でも勉強でも自分よりもできる人はたくさんいたし、普通に考えて何か特別な才能を持っていたり、特段の努力をしたりする人間でない限り「何者」にはなれないでしょうし。
それでもいつか誰かが「あなたは特別な人間ですね!」と見つけてくれるだろう、あるいは見つかってしまうだろうと期待もありました。あらためてこんな風に書いてみると、「なんだその都合のいい考え方は!」と思ったりするのですが、おそらく一般的でないけど、特別珍しくもない感覚なのではないかなと思ったりもします。
さて、今回のタイトルを「『何者』になるために書く」としてみたので、何者になることと書くことの関係について考えたことを書いてみたいと思います。これまで私は自分の考えを書くといった言語化やそれを元にした発信をしてきませんでした。そもそも何か書きたいものがあったわけでもないので、自分が何かを書くという発想自体がなかったのです。
加えて、意識的にか無意識的にか、言語化や発信を避けてきました。というのも、言語化や発信は、私にとって「何者」になる可能性を奪い取る行為だと感じていたからだと思います。
「何者」とは何者かを考えるときにポイントになるのは、可能性の問題なのではないかと思います。例えば、書くことで言語化し発信をすると、「何が言いたいのかわからない」と誰かに言われるかもしれません。その誰かは実は自分だったりするのですが今回は置いておきます。こうなると、「なんだかよくわからないがすごいことを言ったり書いたりする『何者』」になれる可能性がなくなっていく感じがします。
一方で、言語化や発信せずに自分の頭の中に留めておけば、誰からも非難されません。つまり、言語化や発信をしなければ「何者」になる可能性は残されます。ありがちな話ではあると思いますが、その可能性を引き伸ばすために言語化や発信を避けてきたのだと思います。
でも、そろそろ「何者」を目指すことは辞めにしようと思いました。というか「何者」になりたい気持ちがそもそも薄れてきました。何かきっかけがあったわけではありません。朝井リョウの『何者』を読んだことが影響しているかもしれませんし、「言い訳していないでさっさと書け」と求められる仕事環境の影響かもしれません。30代半ばはまだ若いと言ってもいい年齢ですが、年齢を重ねてきて、これから劇的な変化が起こることが考えられなくなったことも影響していると思います。
自分自身の内面の変化、環境の変化、現実的な選択肢が狭まってきたことなど、いろんな要因が重なって諦めがつくようになってきました。可能性という言葉で表現するのであれば、いい感じに可能性が閉じてきたと言えると思います。とはいえ、まだ可能性に期待する気持ちは捨てきれていないのですが。
トンネルChannelに書くことで、「(特別な人という意味での)何者」になれる可能性は消えていくはずです。思った通りに書くことができないという現実を見ることになるからです。
一方で、それでも書いていけば、このチャンネルに、モブとしての私、つまり「フラットな意味合いでの何者」の投稿が増えていくことになります。このチャンネルを読んでいる方の中にはモブとしての私の投稿を楽しんでくれる人もいるはずですし、場合によってはモブとしての私の投稿がきっかけで、モブとしてのあなたの投稿を増やすなんてこともあるかもしれません。
これまで「(特別な人という意味での)何者」になりたかったわけですが、「特別な人を目指さなくていい」という実例を投稿する「フラットな意味合いでの何者」になるために、このトンネルChannnelで引き続き書いていければと思います。
どうぞよろしくお願いします。