2025年7月のツール使用概況:デジタル編(のらてつ)
前回アナログツールについて書きました。今回はデジタルツールです。(月が替わったのでタイトルも7月にしました。)
少し前までは使用ツールの数をなるべく減らすことを目指していました。メジャーなアプリケーションはいくつかありますが、その中のひとつかふたつを選んで使うというイメージです。
しばらくCapacitiesとDynalistを両輪としていました。ツールの機能を踏まえて向いている役割を考えた時、ほとんどの情報がその二つに振り分けられると思ったからです。
機能的にはその分別は間違いではないと今も思っていますが、一方で、ある経緯によってツールを「使う」ということを真剣に考えた結果、そもそもひとつのツールが複数の用途を兼ねている状態が私にとってよくないということにやがて気が付きました。
今はCapacities、Dynalist、Notion、Obsidianの四つを使っています。
Capacities = 行動の場
Capacitiesはデイリーノートとタスク管理の場です。スケジュール管理用のGoogleカレンダーとセットのような形です。
Capacitiesでは情報の種類をオブジェクトタイプというもので区別して扱いますが、「やること」に関するオブジェクトタイプを複数定義することで逆に混乱が減りました。「やること」には種類があり、それを適切に認識することの重要性を感じています。
関連:【Capacities】「やること」関連で私が作っているカスタムオブジェクト|のらてつ
Dynalist = 思索の場
考え事は基本的にDynalistで行います。Capacities内では具体的な段取りの検討はしますが、「そもそもどうしたらいいか」的なこと、つまりプロジェクト化以前の話は大抵Dynalistで考えています。
他に、哲学や社会学的なことを考えることもします。形而下も形而上も、自分に関係あることもないことも、全てDynalistで考えるということです。記事を書く場もDynalistです(書き終わったものはObsidianに移動します)。
逆に考え事以外の要素はDynalistから原則除外することにしました。以前は「データの一単位が行である」という粒度の小ささを活かした情報管理を積極的に行っていましたが、粒度を理由にしたものはほとんどやめてしまいました。そういったものはNotionかObsidian、あるいは紙に移りました。
ただしAPIが便利なので、API利用を前提としたデータベースとしての活用が一部継続しています。
関連:四つのエッセンシャル・アウトラインのその後と三つの四象限 | Noratetsu Lab
Notion = 暮らしの場
Notionについては、使おうとしてうまく使えないということを過去に何度か繰り返していますが、今思うにそれは行動の場や思索の場としてNotionを使おうとしていたからだと思います。もちろんそういう場としてNotionを採用するのがしっくり来るという人もたくさんいらっしゃることと思いますが、私に必要な形とは違っていたようです。
しかし、たまたまNotionを「紙面」の再現として考えてみた瞬間があり、その時ピコーンと脳内の電球が灯りました。Notionのレイアウト力は他のメジャーなアプリケーションにはあまりないもので、情報を時に「面」で扱いたい自分にとっては、むしろこれこそが必要なアプリケーションなのではと思いました。
それまでもイケてる感じの例を見てレイアウトの工夫を感じてはいましたが、それらを見ていた時はデジタルのダッシュボードとして解釈していました。ダッシュボード的なものをあまり必要と感じていなかったのと、ダッシュボードは常に開いているのが前提であり、挙動の重めなNotionに常時アクセスする気がなかったことから、それらの例にはあまりピンと来ていませんでした。
しかしながら「紙面」として捉えると、むしろたまにしか開かなくてもたちどころに内容を理解できるようなものをレイアウトの力で作れるのでは、というふうに発想が転換しました。実際、どんなに未来の自分が見てもわかるような紙面を作ろうと考えてページづくりを始めると、情報を非常にわかりやすく配置できるようになりました。
そのような経緯から、Notionでは暮らしに関わる長いスパンの情報を扱うことにしました。短いサイクルで消費する情報はレイアウトに凝る必要がないので、Notionでやることには大した意味がないと考えました。
もちろんNotionの一番の特長であるデータベースも重要です。むやみに乱造しないように気をつけながら、暮らしに関するデータベースを必要に応じて作っています。
Obsidian = 保管の場
Obsidianでは専ら「これ以上大きく変化することのない情報」を扱っています。自分が書いた記事類やフリーライティングの類、Webクリップ、その他参照できるように集めておく情報などです。
Obsidianはmdファイルを扱うアプリケーションなわけですが、Markdownというのはドキュメントの整形に適した仕組みなので、mdファイルに記述するのもドキュメント的なもの、つまりある程度の粒度があり編集作業にゴールがあるタイプのものが実は向いているのではないか、と個人的には感じています。(個人の感想です。)
倉下さんのご投稿でBase機能について触れられていましたが、そのようにドキュメントの保管庫として使っている私はBase機能が公式の機能として組み込まれることを大変歓迎しています。コミュニティプラグインだと独自ルールを把握する必要があったり製作者それぞれの思想の色がObsidian自体と微妙に違うのを感じたりするところに難がありました。Obsidianの公式機能ならそこが滑らかになるだろうと期待できます。
ツールを分けるにあたり、それぞれのツールの使い方は極力「一目瞭然」になるように注意し、「自分ルールを記憶しておかないとうまく使えない」というようなことがないようにしています。仮に五年ぶりに見てもそのまま使用を再開できるような形です。
複数の用途をひとつのツールで兼ねてしまうと、どうしても自分ルールによる統制が必要になってきてしまうと感じていて、それが認知資源の消費を招いていました。自分ルールを伴う場合、常にアクティブなら認知資源の消費は微量ですが、ちょっと日が空いたりしてしまうと消費が跳ね上がります。私は極度の飽き性なので几帳面に同じ生活を続けていられません。日が空くというのは割とよく発生します。なので今回書いたのは飽きても大丈夫であるための使い分けです。
ところで倉下さんのツール使いと照らすと、アナログ・デジタル通じて用途も含めた共通点はA4コピー用紙しかないような気がします。パズルのようなものなのでひとつのピースの形が違ったら他のピースの形も全て異なるものになるということはあると思いますが、面白いなと思いました。