今年に入って導入したもので、私の日々に大きな変化をもたらしたものが三つあります。Fresh(Denoフレームワーク)、ライフ・アウトライン、そしてObsidianです。
Fresh
FreshはWebアプリケーションフレームワークとかフロントエンドフレームワークと呼ばれる類のものです。私はプログラマーではないので詳しい説明はできませんが、一言で言うと静的サイトを作るための強力な味方で、「Deno版Next.js」と表現されているのを見かけたことがあります。
PreactというJavaScriptライブラリ(Reactの軽量版)を使ってコーディングするのですが、そうするとJSXで書くことができ、HTMLとスクリプトをそれぞれ書く煩わしさから解放されました。また、TypeScriptで書いたコードをいちいちコンパイルしたりバンドルしたりしなくてよくなり、コードを書いた後の管理の手間がなくなりました。
できることが増えるのも大きなことですが、それ以上に「できるにはできるけどすごく面倒くさいこと」が色々解消されたことが私にとってはとても重要です。以前書きましたが、Node.jsからDenoにしたのもその意味で大きな変化でした。(ただしFreshおよびPreactの学習コストは私にとってはそれなりに高かったです。)
先日新しく公開した個人サイト(Noratetsu House)はFreshで構築しています。ローカルで使う自分用のデジタルノートツールもFreshで作るようになりました。
ライフ・アウトライン
ライフ・アウトラインはTak.さんが提案なさっているアウトライナー活用法です。
ライフ・アウトライン実践0-1 はじめに|Tak. (Word Piece)
生活・人生の舵取りに関わる情報を包括的に扱う手法で、私としては何か初めてのことをやっているというよりは、今まで秩序なくとっ散らかった状態でやっていたことを「Tak.さんが設計した棚」に収めてやるようになったという感じです。その意味ではファイリングの技法を学んだような感覚でもあります。
元々自分の中にあった問題意識や基本的な価値観がおそらくTak.さんに近いものだったので、ライフ・アウトラインというメソッドが含む要素が劇的に私を変えたということではないのですが(するっと納得しました)、どのツールにどういう形でやるのがベストかと考えてうろうろし続けていたものをひとまず型にはめてみたことで随分落ち着きを得ました。
余計な「よりよいもの探し」から解放されたわけです。自分なりのライフ・アウトラインになるようなチューニングを試みることはしていますが、使うツールごとあっち行ったりこっち行ったりという大騒ぎはせずに済むということです。今のところの感触だと、Dynalistが生きている限りは続けられそうな感じがしています。
もっと早く導入していればよかったのでは、という気持ちは無いではないですが、しかし自分の癖を考えるに、多分知った時点で飛びついていたら遵守しようとし過ぎて勝手に雁字搦めになって駄目になっていたような気がします。重要なのはメソッドの柱になっている思想であって、今だからこそその「根幹」と「枝葉」を見分けて取り込むことができているのかもしれません。
Obsidian
しばらく眠っていたObsidianをまた使い始めました。
明確な目的がある限定的用途で活用するために復活させたのですが、先日トンネルChannelにてtksさんと倉下さんのお話(「賢くなる」とはどういうことか?について本気出して考えてみるほか)について考えたのをきっかけに、Obsidianにもっと大きな役目を担ってもらうことにしました。「知っておいた方がいいこと、考えておいた方がいいこと」全般を扱うということです。
以前Obsidianを使っていた時(3年程前)もそのような役割を持たせていました。しかしその時は、他の種類の情報も一緒に扱おうとしたり、Obsidianにできることをフル活用しようと意気込みすぎたりして、大量の経験値を得つつもその時点で万事解決ということにはなりませんでした(その後Obsidianを使わなくなったのは機能の問題ではなく「より軽いもの」を求めたことによります)。
当時は自分に関わる情報をあまりにごっちゃに扱っていました。一緒くたに扱えることが良いことだと思っていたからです。ですが自分の性質を考えるに、明らかに関連の薄いものは別の箱に入っていた方が良いようです。
Obsidianで扱うことにした「知っておいた方がいいこと、考えておいた方がいいこと」というのは、必ずしも自分の関心に沿っているわけではなく、備えているべき教養や人の間で生きるのに必要な哲学といった、社会性のためのものを指しています。例えばブログ記事に書きたいようなことは含みません(それはDynalistでやります)。以前は「考えていること」みたいな大きな括りで捉えていたので、所謂ペルソナで分けることをしていなかったのですが、実際はそのあたりを分別して扱ったほうが自分には合っているようだと思っているところです。