「Evernoteの用途と「Evernote体験」の質」のコメント集
ちょっと時間が経ちましたが、思ったことを書いておきます。実験的な試みだと思うので、その所感など(内容についてではなく、投稿スタイルについてです)。
率直に感想を書くと、「読みやすいとは言えないな」と感じました。大きく二つ理由がありそうです。
一つは、コメントは「記事投稿者」(もともとの記事を書いた人)を読み手として書かれるものなので、それが「一般読者」向けの記事として現れてくると、どうしても違和感を覚えます。文体的にも、やや読みづらさがありました(コメントとして書かれているのでこれは当然でしょう)。
もう一つは、今回のやりとりに限定されるかもしれませんが、一つの投稿内に複数の話題が混ざっているので、記事を読んでいるときに内容を捉まえづらかったです。文脈を追いかけるのが結構大変でした。一つの「流れ」にはなっているのですが、結構ジグザグした感じです。
もちろん、今回だけで早急な判断はできませんが、コメントはコメントとして書いて、それを投稿する際は、面倒でも改めて記事として文章を起こすのが良さそうな気がします。
(他の人の感想も聞いてみたいところです)
直接やり取りしていた人間からすると、(直接やり取りをしていたので当たり前ですが)文脈が追えたので、倉下さんのご指摘はなるほどと思いました。
■
コメントを起点とした投稿として、以下6通りあると考えます。
1.コメントをそのまま転記する。
2.コメントを記事用に整理、編集する。
(話題別に項立てする、発言をまとめる、などなど)
3.コメントの主旨をそのままに、「まとまった新しい記事」にする。
4.1.に投稿者がその後思ったこと点を追加する。
5.2.に〃
6.3.に〃
このうち、2.3.5.6.であれば、ご指摘の点は解消するのではないかと思います。
(ここから先はすべて想像ですが、)今回「1.そのまま転記」の形とした言外の理由として、Go Fujitaさんや私をおもんぱかってくださった面もあったのかなぁと考えています。人によっては、「自分の発言を削られる、変更される」ことで気分を悪くする場合があるからです。(私のような得体の知れない人間が混ざっていたので、のらてつさんのお気をわずらわせてしまったのではないかと。)
この点については、以下2点の対応があるかと思います。
・引用元のコメントもトンネルChannel内で確認可能であるため、コメントの整理、編集等の再利用は問題ないとする。
・都度コメントを書いた方に確認する。
私個人のコメントは、前者でまったく問題ないのですが、トンネルChannel全体の話となると、ここも早急な判断ができないところなのかもしれません。
ありがとうございます、とてもわかりやすい整理だと思います。
トンネルChannelの趣旨からしても、記事にするに当たっては投稿者の思索が加わる形であった方が良いのだろうと感じました。
癖の問題として、私がひとつの記事としてまとめようとする粒度がおそらく大きすぎるところがあるので、話題を細かく刻むことを意識しながら2+5、3+6の形で記事を作ることを心がけたいと思いました。
.
>「1.そのまま転記」の形とした言外の理由
そうですね、そのあたりのことをどうするべきか曖昧だったため「とりあえず」そのまま転記したというところがあります。この「とりあえず」が諸悪の根源という感じがしますし、こうなったがどうしたらいいかというのを(各個人との交渉という形ではなく)予めトンネルChannelに向けて提起すればよかったなと思いました。
コメントありがとうございます。
正直なところ読みやすくないなと自分でもわかっていたので、コメント欄で文脈に依存したやり取りが進んだ時にどうすべきかはきちんと考えたいところです。
なお、一応今回のことをした理由は以下の通りです。
1. 目的:コメント欄でやり取りが交わされていることが当事者以外には通知されないので、その存在を知らせるため。
2. 目的:コメント欄の内容は、コメントされた人間以外にはメール送信されずSubstack上にしか残らないので、敢えて転載してメール送信することで財産として残しておくため。
3. 形式:コメント欄に存在する興味深い内容は、コメントされている側(のらてつ)の思索ではなく、のらてつが内容に沿って意味のある記事を新たに書くのが難しかったため。
そもそもの問題として、「私が」記事を仕立てようとしたことに無理があったようにも思います。コメント欄に存在するやり取りを他の人にも読んでもらいたいと感じていたのは、コメント欄のある記事の投稿者である私ですが、なぜ「コメント欄を見てもらいたい」というふうに思ったのかと言えば、私には整理できない文脈があったからです。(tasuさんのオリジナリティが根幹にあるといった意味で)
この場合、例えばtasuさんに「このことについては是非記事にしてください」と依頼し、私はそれをじっくり待つという形を取るべきであったかもと思います。
なんにせよ、いろいろわかったのは一歩前進だと思います。こういうのはあらかじめ正解を知ることは不可能なので、今後ともいろいろやっていきましょう。
ちょっと時間が経ちましたが、思ったことを書いておきます。実験的な試みだと思うので、その所感など(内容についてではなく、投稿スタイルについてです)。
率直に感想を書くと、「読みやすいとは言えないな」と感じました。大きく二つ理由がありそうです。
一つは、コメントは「記事投稿者」(もともとの記事を書いた人)を読み手として書かれるものなので、それが「一般読者」向けの記事として現れてくると、どうしても違和感を覚えます。文体的にも、やや読みづらさがありました(コメントとして書かれているのでこれは当然でしょう)。
もう一つは、今回のやりとりに限定されるかもしれませんが、一つの投稿内に複数の話題が混ざっているので、記事を読んでいるときに内容を捉まえづらかったです。文脈を追いかけるのが結構大変でした。一つの「流れ」にはなっているのですが、結構ジグザグした感じです。
もちろん、今回だけで早急な判断はできませんが、コメントはコメントとして書いて、それを投稿する際は、面倒でも改めて記事として文章を起こすのが良さそうな気がします。
(他の人の感想も聞いてみたいところです)
直接やり取りしていた人間からすると、(直接やり取りをしていたので当たり前ですが)文脈が追えたので、倉下さんのご指摘はなるほどと思いました。
■
コメントを起点とした投稿として、以下6通りあると考えます。
1.コメントをそのまま転記する。
2.コメントを記事用に整理、編集する。
(話題別に項立てする、発言をまとめる、などなど)
3.コメントの主旨をそのままに、「まとまった新しい記事」にする。
4.1.に投稿者がその後思ったこと点を追加する。
5.2.に〃
6.3.に〃
このうち、2.3.5.6.であれば、ご指摘の点は解消するのではないかと思います。
■
(ここから先はすべて想像ですが、)今回「1.そのまま転記」の形とした言外の理由として、Go Fujitaさんや私をおもんぱかってくださった面もあったのかなぁと考えています。人によっては、「自分の発言を削られる、変更される」ことで気分を悪くする場合があるからです。(私のような得体の知れない人間が混ざっていたので、のらてつさんのお気をわずらわせてしまったのではないかと。)
この点については、以下2点の対応があるかと思います。
・引用元のコメントもトンネルChannel内で確認可能であるため、コメントの整理、編集等の再利用は問題ないとする。
・都度コメントを書いた方に確認する。
私個人のコメントは、前者でまったく問題ないのですが、トンネルChannel全体の話となると、ここも早急な判断ができないところなのかもしれません。
ありがとうございます、とてもわかりやすい整理だと思います。
トンネルChannelの趣旨からしても、記事にするに当たっては投稿者の思索が加わる形であった方が良いのだろうと感じました。
癖の問題として、私がひとつの記事としてまとめようとする粒度がおそらく大きすぎるところがあるので、話題を細かく刻むことを意識しながら2+5、3+6の形で記事を作ることを心がけたいと思いました。
.
>「1.そのまま転記」の形とした言外の理由
そうですね、そのあたりのことをどうするべきか曖昧だったため「とりあえず」そのまま転記したというところがあります。この「とりあえず」が諸悪の根源という感じがしますし、こうなったがどうしたらいいかというのを(各個人との交渉という形ではなく)予めトンネルChannelに向けて提起すればよかったなと思いました。
コメントありがとうございます。
正直なところ読みやすくないなと自分でもわかっていたので、コメント欄で文脈に依存したやり取りが進んだ時にどうすべきかはきちんと考えたいところです。
.
なお、一応今回のことをした理由は以下の通りです。
1. 目的:コメント欄でやり取りが交わされていることが当事者以外には通知されないので、その存在を知らせるため。
2. 目的:コメント欄の内容は、コメントされた人間以外にはメール送信されずSubstack上にしか残らないので、敢えて転載してメール送信することで財産として残しておくため。
3. 形式:コメント欄に存在する興味深い内容は、コメントされている側(のらてつ)の思索ではなく、のらてつが内容に沿って意味のある記事を新たに書くのが難しかったため。
.
そもそもの問題として、「私が」記事を仕立てようとしたことに無理があったようにも思います。コメント欄に存在するやり取りを他の人にも読んでもらいたいと感じていたのは、コメント欄のある記事の投稿者である私ですが、なぜ「コメント欄を見てもらいたい」というふうに思ったのかと言えば、私には整理できない文脈があったからです。(tasuさんのオリジナリティが根幹にあるといった意味で)
この場合、例えばtasuさんに「このことについては是非記事にしてください」と依頼し、私はそれをじっくり待つという形を取るべきであったかもと思います。
なんにせよ、いろいろわかったのは一歩前進だと思います。こういうのはあらかじめ正解を知ることは不可能なので、今後ともいろいろやっていきましょう。