productivityからpracticalityへ
前々から「生産性」という概念が疑問でした。単位時間あたりの生産数を表す指標なんですが、そこに質的観点がまったく入っていない点が気にかかるのです。
もちろん、実際の生産現場では質が担保されているのは当然で、その上で生産数を計量するということなのでしょうが、知的生産において「質」はシックスシグマ的なもので担保できるものではありません。だとしたら、質の担保なしにただ数だけをカウントすることになってしまいます。
どんな愚文でも2000字書けばそれで「生産」したことになる。どんな紙束(失礼)でも出版すれば「生産」したことになる。それってやっぱりちょっと辺じゃないですかね。
もちろん非効率なことをしまくっていたら、質を上げるための時間も取れないのですから効率化は重要ですが、でもそれは生産性を向上させることが目的ではないのだと思うのです。少なくとも知的な営みにおいてはそんな風に言えるんじゃないでしょうか。
というわけで、英語圏でこの手の話題が扱われるときに用いられる productivity という言葉の代わりに、何か私の実感に近しい言葉はないかなと考えていたのですが、たとえば、practicality という言い方ができるかなと思っています。
「実際的なこと、実用性、実用的な事柄、実地の問題」
を表す言葉です。
ただ生産数を向上させればいいのではなく、それが実際的に役立つこと、実用に則することのその度合いを上げることを目指す。それが practicality な態度です。逆に役に立つのならば、形式とかは二次的なものでいい、という実用主義的な意味合いもちょこっとだけあります。
productivity と practicality は関心を向ける分野・領域はとてもよく似ています。でも、そこに向けるまなざしが少し違っています。片方は生産的であることが価値を計る物差しであり、もう片方は実際的であることが価値を計る物差しなのです。
単純な雑務であるならば、productivity を用いればよいでしょう。でも、そういうのってどんどん人間の仕事からは外れていくでしょう。となると、キャッチなー言い方をあえてすれば「AI時代にはpracticalityだ!」みたいな感じになるのかもしれません。
まあ、そういう表現がどのくらい practicality なのかはちょっとわかりませんが。