本投稿はひじょうに駄文となるであろう予測はついているので、先にお詫びします。さて、自分のことが何もわからないのは(無駄に)歳をかさねた私も一緒で、エピソードにあったのらてつさんの20歳頃と50を過ぎた私を比べても、私のほうが理解が浅いであろう予測はつくし、そもそも(あくまでも一つの事例であることは承知してますが)好きな食べ物がわからないことがイコール「私は自分のことが何もわからない」となってしまうのかな? と思いながら読ませていただきました。
それは、私に「乃木坂46で誰が好き?」と聞かれると、アイドルグループは観ることも聴くこともないし、ひとりも名前を知らないから答えようがないのと一緒ではないかと思ったのです。
そういう問題ではなく、他者とのコミュニケーション上で起きた繊細な気持ちの問題なのだと想像できますが、却って私は「二十年だかの歳月を」巧みにスルーして過ごせたといわれる、そんなひとに憧れるのです。
ご自分の関心や価値観がきわだって明らかではないのに、日々を過ごしていけるのは、控えめに言ってもとてもうらやましい。これは禅問答をしているのではなくて。
私は「空のように、大地の様にただそこにいるだけのものになりたい」と思います。と、こころを述べてみます。いかがでしょうか。もちろんそんな智慧は私にはありません。趣味の範疇で、シッダールタの語り継がれた言葉を読んだり、瞑想の練習を行ったりしますが、智慧のあるかたに憧れているだけですね。
そもそも人は、好きなものや嫌いなものでさえも、真に自分のなかから生まれてきているのかも疑問です。いろいろな要件をもとに相対的にそれを選んだだけではないかと考えておりました。
私はすでに無くなったものをもう一度手にしてみたいと思うことがあります。人であったり場所であったり。叶わないと気づけば、寂しく感じたり辛い思いをします。のらてつさんの気分もそこに近いものなのかなと想像しながら拝読しました。他人様に向かって失礼を申すのは恐縮ですが論評だと思っていただければ。その気分は足りないと追い求めるものではなく、何かしらの理由があってあらかじめ失われたものであったのかも知れません。その「理由」はのらてつさんに必要なものだったのではと思うのです。
たいへん失礼いたしました。のらてつさんのウェブ公開サイト好きです。ご活躍を祈ります。
ありがとうございます。ちょっと誤解があるように感じましたので、書き方が曖昧になってしまっていたであろう点について補足致します。
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>好きな食べ物がわからないことがイコール「私は自分のことが何もわからない」となってしまうのかな?
「あくまでも一つの事例であることは承知してますが」とお書きになっておられるので、蛇足かとは思いますが。好きな食べ物自体はほとんどどうでもよいのですが、好きな食べ物もわからないし、他のことを自分に問うても何もわからないということです。好きな食べ物の話は自分に自分のことを問うということのきっかけに過ぎません。他に数多の問いかけをした結果の「何もわからない」です。
直接的に言うのが少しはばかられたのでズバッと書くことはしませんでしたが(読まされても困る話になってしまうため)、要するにアイデンティティの確立に必要な日々の些細な努力を徹底的に先延ばしにし、それによって明確に不利益を被ったということを書きたかったのです。
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>ご自分の関心や価値観がきわだって明らかではないのに、日々を過ごしていけるのは、控えめに言ってもとてもうらやましい。
自分が空虚だという絶望感を味わったことの無い方にはおそらく想像がつかないことだと思うのですが、とてもではないですがおすすめできません。波に揺られてケセラセラ、ということではないのです。ちなみに私は鬱になり人生を停滞させました。待ち受けていたのは希死念慮との戦いの日々です。
なお「巧みにスルーして二十年だかの歳月を過ごしてしまった」の「巧みに」というのは、「うまいこと」という意味ではなく「(自分でも自覚できないほど)巧妙に」という意味です。