生活の技術としてのGTD
https://anchor.fm/rashita/episodes/Tak-e1rj22b
上のポッドキャストで「生活の技術としてのGTD」といった話をしています。ここでは、その風呂敷をダダーっと広げておきましょう。
まず、GTDは「レビュー」によってシステムを構築した、という点が偉大です。それまでも似たような情報の流れを構築するメソッドは存在したのですが、それらは一方通行でした。リストを作る→実行する→Done! めでたし、めでたし。
GTDはここに「レビュー」という点を打ち込み、情報の流れを一方的な流れからサイクルに転じました。これによってフィードバックループが生まれ、全体がシステムへと昇華されたのです。
この意味で、GTDはそれまでのメソッドよりも一つ上の階層にのぼったと言えるでしょう。
であれば、その系譜を引き継ぐものとしては、GTDと同じ階層で何かを言うのではなく、アレンがそうしたのと同じように一つ上の階層にのぼることを目指したいところです。つまり、一つのシステムよりもさらに一つ上にのぼる。
ここで効いてくるのが「生活の技術」です。生活の中には仕事ややり遂げるものが含まれます。よって、仕事術は生活の生活の技術を構成する一部と言えるでしょう。逆に言えば、仕事術という視点から生活の技術という視点に変化することは、階層を一つ上がることを意味します。
注意してもらいたいのは、「ワーク・ライフ・バランス」という言葉が示すような「仕事と人生」という対立軸で捉えているわけではない、という点です。仕事と人生(生活)が対立するなんてしょーもない思想です。そうではなく、まず「生活」があり、その下位に「仕事」が位置づけられていると捉えるのです。これは会社人間=企業戦士的価値観の転倒とも言えるでしょう。さらば、昭和のサラリーマン。
このように捉えると、「仕事術」の兄弟項目という存在について考えることができるようになります。階層を一つ上がった効果です。
当然のように、そこには「知的生産の技術」が含まれるでしょう。粒度を整えるならば、別の表現が好ましいのですがここではその問題は脇において、そういう領域が扱う技術の仮称だと捉えておいてください。
実際、『How to take smart Notes』の著者Sonke Ahrens は著書の中でGTDのメソッドはたいへん優れているが、しかしすべてを網羅できているわけではないと述べています。おそらくはその通りでしょう。
私たちがこれまで何度も確認してきているように、GTDは「アイデア」を扱うのが苦手です。なぜならアイデアは「Done」できるものでも、したいものでもないからです。GTDは「Done」に関わる情報や注意を扱うのに適したシステムですが、人の生活の中にはそれ以外の情報や注意があり、それらを扱うために適した別のシステムもある。
そういうことを論じれば、GTDよりも一つの上の階層に上ったことになるでしょう。
今後の倉下は、そういうことを考えていきたいなと思っております。