以下のページを拝見しました。
https://scrapbox.io/practicefield/トピックノートの前に雑多なものをまとめるためのノートが欲しい
トピックノートは整理の側面がある。そしてその側面は、きれいに整えるためのものである印象がある。雑多なものをまとめておく感じにはならない。なので、自分の場合は雑多なものをまとめるためのノートが必要かもしれない。Obsidian上だと意外とそれが出来ていない気がしている。
トピックノートとは、「アトミック・シンキング」で提唱される手法です。で、そのノートでは”雑多なものをまとめておく感じにはならない”のだけども、自分としては”雑多なものをまとめるためのノートが必要かもしれない”、と考察が書かれています。
非常に重要な考察です。
何かしらの手法は、誰かが考え出したもので、その人の目的を達成するために調整されています。だから、同じ手法が自分において同様に機能する保証はありません。その時点までに獲得した身体知的なもの、あるいは習慣や好みに違いがあるかもしれませんし、そもそもやろうとしていることや求めていることが違うということもあります。
であれば自分なりの方法が必要なわけですが、それがどんな方法になるのかは、逆説的ではありますが、他の人の方法に身を委ねてみるしかありません。一旦身を委ねた後で、微妙なズレや不具合、戸惑いに気がつくことで、何が自分にフィットするのかを発見できます。
差異による発見。
そうした発見を可能にするには、二重の精神性が必要です。つまり、言われたことをそのまま受け止める素直さ・実直さと、とは言ってもズレがあるんなら自分なりに調整していこうとする自律性・反骨精神。この一見すると相反する要素を重ね合わせるところに、「自分なりの方法」が待っているのだと想像します。
そこでのポイントは、実直に実践しながらもその実践を振り返りつつ、そこで起きているのが何なのかを批判的に検討することです。ちょっと変だなという感覚。これはやりたいことではないかもしれないという違和感。そうした感覚を捉まえることができれば、「じゃあ、自分がやりたいのは何なのか」を考えることができます。
端的な言葉で言えばレビュー(批判)です。
素直な実践と、自分なりの批判。この二刀を構えることができれば、少しずつフィットする方法に近づいていけるのではないかな、と今のところは考えています。