本を買う行為の変化
なぜそんなに我慢ができるのか?
ちょっと考えてみましょう。
その1。平均して週に七回ほど書店に行っているので、「また次に買おう」と思いやすいこと。
その2。電子書籍で買う本が増えて、紙の本の割合が2割ほど減ったこと。
その3。いい加減、40歳も過ぎたので、さすがに学んだこと。
振り返ってみると、20代の頃はそれこそ大きな書店に出かけて紙袋を両手に抱えて返ってくる、ということをやっていました。至福の時間です。
でも、さすがに40歳も過ぎると、「そんなにたくさん本を買っても読めないし、読めない本が積まれていることで心理的なプレッシャーが生まれる」ということも学びはじめます。
いや、自然に学んだというよりも、いよいよ本気で部屋の床が抜けるのではないかと心配になってきて、それが本を買うときにも──ごくわずかながら──フィードバックが生じているのでしょう。で、その「買いたい気持ち」を抑制するために、さっきのような”理由”を持ち出している、というわけです。
もちろん、そんなことをいいながら、年間に買う本の数と読了する本の数では、圧倒的に「>」の不等号が成立しています。これはもうどうしようもありません。それでも、昔に比べたら「死ぬまでに読める本の数は限られている」ということは意識に上るようになりました。だからこそ、ある種の制約を設ける必要があると感じています(可能かどうかは別にして)。
囲碁というゲームでも、序盤から中盤までは大きく模様を広げていく手筋であっても、それ以降は自分が広げた模様と一つの「陣地」としてまとめていく作業が必要です。ある種の手じまいがあり、それによって陣地が完成するというわけです。
基本的に多趣味であり、好奇心のノードは無作為に伸びていくのですが、そろそろそういうやり方だと、自分の知的創造にもあまり良いことはないなと感じはじめています。
もちろんそれは「興味があること以外は読まない」のような門のとじ方ではありません。さすがにそれはしょーもないスタイルです。そうではなく、ある程度は枠組みを持っておき、そこから外れてしまうものは、どうしようもなくもったいないけれども、有限の存在である人間であるのだから受け入れるしかない、とそんな風に考えることです。