ゾンビと影なるもの
「見えるもの」の影響について考えてきました。で、ふと思い出したのが「ゾンビメモ」です。
ゾンビメモがゾンビメモとして立ち現れるのは、過去のメモが目に入るタイミングです。目に入るから、なんとかしなければいけないという思いが立ち、しかし今は特にそれをなんとかしたいわけではないというねじれた状態になるから心に陰鬱さが生まれるわけです。
書かれたものは情報を保存するわけですが、そこに構造があるならば、その構造の意味も一緒に保存され、その構造を目にしたときに、その意味も思い出されるのですが、しかし今の心の状態とそれが合致しているとは限らず、不一致があるときに不具合が生じる、という風にまとめられるでしょう。
こういう風に「過去の自分の何かしらが残っているもの」というものを指す言葉して「影」という表現をちょっと持ち出してみます。自分自身ではあるが、自分自身ではないもの。自分にぴったりと寄り添うもの。
その影が自分とうまくくっついている間は問題はありません。二つの存在はうまくやっていけます。しかし、自分と影が切り離されると、そしてその時間が長く続くと、どうにも不都合がやってきます。影の存在が自分自身に悪影響を与えるようになってくるのです。
単に「情報」を保存しているだけならば、こういうややこしい話はあまり考えなくてもよいでしょう。しかし「自分」にまつわる記録を残している場合は注意が必要です。
ゾンビを祓うための、あるいは影とうまくやっていくための手法がそこでは求められるのです。

