オーディオブックは食わず嫌いだったとして
鳥井さんの以下の記事を読みました。
私自身が読書家なのかどうかはわかりませんが、いくらか本を読む人間の実感として思うところをしたためておきます。
まず、提示されている不等式に近いものはたしかに私も感じていました。
紙の本 >>> 電子書籍 > オーディオブック
実際は、こんな感じだったかもしれません。
紙の本 > 電子書籍 >>> オーディオブック
今になって振り返ってみると、このように感じていた原因の大半が「オーディオブックを聴いたことがなかったから」だったと思います。つまり、食わず嫌い。
実際に、Audibleを試してみたら、上の不等式は完全に崩れました。とは言え、以下のようになったわけでもありません。
紙の本 = 電子書籍 = オーディオブック
むしろ、こうなりました。
let books = {紙の本,電子書籍,オーディオブック}
同じ「本」でありながら、それぞれは異質なメディア体験であると再定義されたのです。
特に小説などは顕著で、オーディオブックは迫力が違います。文字を読む場合は、どうしても読み手のイマジネーションが作品の受容に強い影響を与えるわけですが(だから疲れ切っていると読めない)、声で作品形成が補完されると、ぐっと想像しやすくなる。
哲学書の場合でも面白い特徴があって、ややこしい部分があっても「手を止めない」ので、ぐんぐん先に進みます。難しい本を紙で読んでいると、一ヶ所に引っかかったらそこで立ち止まってしまって、ぜんぜん先に進まないことがあるわけですが、案外読み進めているうちにスルッと解決したりするものです。むしろ全体像を把握してからの方が理解しやすかったりする。その意味で、自分でページをくらなくても先に進んでくれるオーディオブックには独自の良さがあります。
なので、私は基本的に紙の本を読むユーザーではありますが、何ヶ月かに一回Audibleを契約し、集中的に聴いてみる、ということを繰り返しています。ポッドキャストなどを聴く感じの延長線上です。
メディア体験と時間の違い
ところで、紙の本が偉いとは思っていませんが、メディア体験に差があることは、形成される理解に違いを生じさせるだろうとは思っています。
で、”あと、よく「紙で読んだほうが圧倒的に速い」と言われます。それも、たぶん本当です”と記事に書かれていましたが、まさにそれはそうでありながら、しかし私が感じるのは逆なんです。むしろ紙の本は遅く読むためにこそある。
読書という行為の特徴の一つとして挙げられるのが「自分の任意のスピードで読める」ということです。ある部分は素早く読み進め、別の部分はものすごくゆっくり読み進める。いや、進めるだけでなく、ときに戻る。
たとえば私は本を読んでいて気になった箇所があったら、赤線を引き、そこでしばしば考え込むことがあります。自分の脳内を探索し、場合によってはそこまで読んできた箇所を逆向きに辿っていく。
電子書籍でもオーディオブックでもそうした「操作」は可能なのですが、快適とは言いがたいです。
ちなみに、私はポッドキャストを聴いているときでも、よく途中で止めます。止めて、そこまで話されいたことをについてじっくり考える。だから、15分の番組を聞き終えるのに三日くらいかかったりします。
そんな感じで、どのような媒体でも「ゆっくり」受容することは可能なのですが、それが一番やりやすいと感じるのは紙の本です。
ちなみに、すべての紙の本でゆっくり読んでいるわけでなく、ざっと目を通して終わりみたいなこともあり、その場合はオーディオブックで聴いた感じとほどんど違いはありません。ようはこちら側のコミットメントがどう違うか、という話です。
リッチな経験
その上で考えたいのは、そのような「ゆっくり」の受容は、現代ではとても贅沢な行為だということです。経済的にというよりも、いっそ時間的に。そのような時間的余裕がなければ、とてもそんな受容はしていられません。
その意味で、そうした受容以外は意味がないんだ、というのはお金持ちが高級フランス料理以外は料理ではないと豪語するようなものでしょう。だからといって、高級フランス料理がその値段に見合う価値がないのかというと、そういうわけでもありません。それは固有の価値を持っています。しかし、当たり前ではない。
読書の価値が「理解すること」しかないならば、精読以外のすべての受容がすべて無価値になってしまいます。でも、本と人間の関係はもっと広く、多様で、豊かなものです。それは、食材と人間の関係が実に多様である、というのと同じことです。自炊してもいいし、レンジでチンしてもいいし、お湯を注いでもいい。そのような選択肢の広さこそが、「文化」でしょう。そのどこに「料理か、料理でないか」と線引きをするのは、規範性の発揮以上の意味はないように思います。
媒体ごとの違いと、接し方の違い。
その辺りの違いを踏まえた「シン・読書論」があればいいですね。

