学ぶ機会を愉しむ
ぼくの趣味のひとつは、プログラミングです。プログラミングを学びながら、遊んでいます。プログラミングを学ぶことが手段ではなく、目的の一部にもなっています。
プログラミングを手段として、やりたいこともありますが、それについては連載途中の「はじまりのSmalltalk」でかいていきたいと、思っています。
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プログラミングを学ぶ醍醐味として、どの言語を学ぶのか、その言語の長所や短所をどう踏まえて何をつくるのか、学ぶ人それぞれが自分の特徴を出しやすい点があります。
また、いくつかの言語を身につけたあと、どの段階で別の新しい言語を学ぶのか、あるいは学ばないのかという選択の仕方にも、ぼくたちそれぞれが、自分の特徴を出すことができます。
プロフェッショナルのプログラマは、テクノロジー発展の流れをとらえ、その先をよんだ言語の選択が、この分野でしごとをする大きな醍醐味になっているのかなと、テキトーに予想しています。
ぼくのように趣味でプログラミングを学んでいる場合、そうした世界の潮流を踏まえるといった制約がない、という愉しさがあります。
世の中の流れなぞ気にせずに、自分が好きな言語、興味をもった言語を自分のペースで、じっくり学ぶことに、誰からも文句言われません。
おもしろいと感じるところを、心ゆくまで掘って行けますし、それに飽きたからと途中で止めるのもやり放題です(笑)。
仕事ではなく、趣味として学ぶこと最大の長所は、この自由さではないかと、ぼくは予想しています。
この長所を生かすことで、プロフェッショナルにはできないしごとが生まれてくる可能性があると、夢みています。
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これは、プログラミングに限ったことではありません。
たとえば数学や物理学、宇宙科学や進化生物学を自分で学ぶ。
英語やウクライナ語、あるいはラテン語などの言語に興味をもつ仲間とテキストを輪読したり、鳥や昆虫、岩や土が大好きな人たちと、自分たちで計画を立ててフィールドワークしたり。
あるいは、ひとりでゆっくり短編小説をつくったり、詩で自分の気もちを表現したり。
自分で学ぶことをとおして、細やかな幸せ感を増やす方法を学ぶ機会の豊かさは、たぶん人類数千年の歴史の中でも、この21世紀前半は、最高の時代を迎えているのではないかと、ぼくは考えています。