不調に陥ると困ります。
というわけで、三つの方針を持っています。
不調にならないように
まず、不調に陥らないように日常的に気をつけています。
睡眠時間の確保
作業量の上限設定
これがベーシック。あと、食事と運動のケアも入るでしょうか。ようするに「健康的な生活」としてイメージされるものです。
別段「理想的」な生き方をする必要はなく、自分が不調に陥った経験から、「ああ、こういうことをするとダメなのか」とリバースエンジニアリング的理解をして、その点にだけケアすればOKという感じ。
こういうのは基本的に地味な話ですし、いわゆる「生産性」も「やりがい」もないのですが、だからこそ大切ではあります。
不調に気がつく
上記のように、不調の予防を心がけていたとしても、ちょっと無理をしてしまって、みたいなことは起こります。日常茶飯事とまではいかないものの、まあ珍しくない、くらいの頻度では発生します。
そういうときに大切なのは、「あっ、俺今不調だ」と早めに気がつけることです。早く気がつければ気がつけるほど、手当ても早まり、結果的に回復への道のりも早まります。
ところがです。
自分の不調ってなかなか気がつきにくいものなんです。特に仕事に追われていると、注意の対象が仕事や作業に奪われてしまい、自分自身に向くことが減ります。忙しいという漢字は「こころ、うしなう」と書きますが、まさにそんな感じ。
というわけで、いくつかの「サイン」を捉えることにしています。
普段見ている番組や記事に面白さが感じられなくなった
飲むお酒がおいしく感じられない
私の場合、この二つが典型的な不調のサインです。前者は、感情が動かなくなってくる感じ、後者は味覚が変な感じです。どちらにせよ「普段とは違った状態になっている」のが胆で、ということは「普段の状態」がある程度把握されている必要があります。
この辺が、リズムを持って生活することの一つの意義ではあるでしょう。
不調から回復する
上の二つの網をくぐり抜けてなお、やっぱり不調に落ちってしまうことがあります。あるいは、サインに気がついたときには、すでに不調に足を踏み入れていた、ということも少なくありません。
そういうときは、もう、休むの一択です。
作業量を激減させる
SNS・ニュースメディアは見ない
感動する系の作品を受容する
天気の良い日に公園でボケーっする
基本的には「日常的な動作」から抜け出て、非日常的に休むのがポイントです。もちろんこれは、僕の日常が作業で満ちあふれているからであって、そうでない人はまた別の考え方があるでしょう。
とにかく、こうなったらもうじたばたしても仕方がありません。体の回復を信じて、注意や緊張のスイッチを切ることを意識します。
というわけで、不調についての三原則でした。