入れ過ぎるとノイズが増える
以下の続きです。
入れたものが取り出せる経験が増えることで、そのツールが身近になり、使えるようになっていく、という仮説が正しいとしたら、情報ツールが使えなくなるのはその逆をやってしまうことだと言えます。
つまり、入れたものが取り出せない、あるいはなかなか取り出せないと、そのツールが疎遠になり、使えないようになっていく、ということです。
ここに「ノイズ」が関係してきます。
「Remember Everything」を謳っていたEvernoteは、たしかに情報の「受け口」としては最高の機能を持っていました。さまざまなツールとの連携があり、何をどう保存するのかを事前に考える必要がありません(これがNotionとの大きな違いです)。
結果的に、Evernoteにはなんでもかんでも保存されることになりました。少なくとも、そういう使い方をしている人たちが一定数存在していました。
すると、どうなるか。もちろん、見つけられなくなります。あるいは、見つけるのにすごく時間がかかるようになります。
そういう経験が積み重なるともうダメなのです。脳がそのツールを信用しなくなります。言い換えれば「情報を取り出すための装置」と認識されなくなるのです。すると、どんどん保存だけされるようになり、それがさらに「ノイズ」を増やして……、という結果がやって来るのです。
これは「入り口が便利だからといって出口も便利とは限らない」という教訓とも言えますし、「入り口を便利にすればするほど、出口は混乱してくる」という実態と言えるかもしれません。だからこそ、ScrapboxはAPI経由で簡単に──というか自動的に──ページを作れないようにしているのでしょう。”ゴミ箱”になるのが見えているからです。
ともかく、情報ツールについて見逃してはいけないのは、そのツールは使い続けてこそ意義を持つ、という点です。長い時間の使用に耐えられないならば、かなりの役不足であると言っていいでしょう。
では、「長い時間の使用」において何が起こるのかといえば、一つは情報量の増大であり、もう一つは使用者の忘却です。これについてはまた次回にでも。