他人のやり方が自分のやり方になること
現在の私のタスク管理は記録ベースの運用だと言っていいと思います。ここでいう記録ベースの運用とは、タスク管理において記録することを最も重要視しているという意味です。もちろん計画もある程度はしますが、とにかく記録をとることを重視しています。
これはノートを取ること重視したタスク管理と言ってもいいかもしれません。『すべてはノートからはじまる あなたの人生をひらく記録術』でいうところの「正しいノート術は存在しないが、ノーティングは正しい」精神で、とにかくノート(=記録)をとることを重要視しています。
私が行っているタスク管理の方法は他の人の真似から入っているものばかりです。それどころか、他の人の真似から入ったものしかないかもしれません。
例えば、『Re:vision: タスクリストとアウトライン』ではタスクリストと作業記録のリストを分ける運用が紹介されていますが、それを真似して運用しています。
他にも『アウトライン・プロセッシングLIFE: アウトライナーで書く「生活」と「人生」』では★や▼マークを利用することで、今取り組んでいるタスクを把握したり、他人の意見と自分の意見を区別したりする工夫が紹介されていますが、それも真似をしています。
おそらく多くの人が同じだと思いますが、タスク管理の本を読んだときには、最初はそこで紹介されている新しくツールを導入したり、運用方法を真似したりして、本に書いてある通りを自分の環境で再現してみると思います。
そして、これも多くの人が同じだと思いますが、たいていそれは失敗すると思います(そんなことないのかな?)。私の場合は、初日は筆者の環境を再現できたから満足、次の日はまだ新鮮な気持ちだからうまく行く、でも数日試すとなんだかしっくり来ずにやめてしまう、それでまた新しい方法を探してみるといったループ。自分に合うやり方がどこかにあって、それを探し求める旅に出ている感じです。
これでも別にいいのですが、何度も同じことを繰り返すので不毛だと感じる気持ちもあります。
先に紹介した2つの方法は、真似をしてみて珍しくうまくいったパターンで、これまでの方法とは異なる感じがしています。その要因としては、もちろん倉下さんやTak.さんの紹介しているアイデアが素晴らしいという面もあると思いますが、自分で工夫するようになったことが大きな要因だとも思っています。「このアイデアのこの部分は自分に合ってるぞ」とか「この部分はもう少し変えてみたら便利だな」と思うことが増えました。
今回お伝えしたいのは、どんな風に工夫しているかについてと工夫をすること自体についてです。
私は現在Logseqを使ってタスク管理を運用しています。タスクリストと作業記録を分けたり、★やできればリストを再現するためにいくつか工夫をしています。例えば、DOING、NOWを★とみなしたり、LATERとTODOを区別をすることで緊急度合いを区別しています。文章で説明するのは難しいので、イメージ図でなんとなく伝わればいいなと思います。
■Logseqでのタスク管理のイメージ
最近は、タスク管理にアウトラインを使用するときにはあえて階層を深くしてみることを試しています。というのも、私は記録することを中心にアウトラインを使っていて、アウトラインを見た瞬間に状態を把握したいという気持ちがあります。だから、アウトラインの階層を深くして構造を見るだけで情報の判断をできるようにしたいと思っています。
1日のうち何度も、あるいは後日に見返すことがある(=見返したタイミングで何が書いてあるかをすぐに把握したい)ことと、次の日以降操作はしない(=階層が深くても操作性には影響しない)ことから、うまくいくかもしれないなと思って試してみています。ちなみに、文章のアウトラインでは階層を深くしないようにしています。そもそも『書くためのアウトライン・プロセッシング: アウトライナーで発想を文章にする技術』を読んで、アウトライナーを文章で使うことを意識していたから階層は深くしない方がいいと考えるようになっていました(結局リニアにするのだから階層はあまり深くない方がいいという意味です)。
前置きが長くなりましたが、実はここからが今回言いたいことです。タスク管理に限らず、たとえば本で読んだことを実践してみてうまくいくときは、良くも悪くも、「あれ、これって誰がオリジナルなんだっけ?」「何の本を参考にしたんだっけ?」という感じになります。この感じが大事なんじゃないだろうかとふと思って、今回の文章を書きました。本来は他人のやり方だったはずのものが身体化されている感覚です。
反対に、困ったときに「オリジナルはどうやっていたのだっけ?」と本を参照するようなときもあります。(これはこれで重要ですが)おそらくオリジナルを意識する段階ではまだ自分のやり方まで昇華できていないと言うことなのでしょう。
大前提として、一般に公開するようなときは誰のオリジナルなのかやどこから得たアイデアなのかは覚えておいたり、明示することは大事です。しかし、運用する上では、オリジナルな考えと自分の考えが混ざってきて区別できなくなるくらいになることが大事なのかもしれません。
今回紹介した方法も、もともとは他人のやり方の真似から始めたものが、自分のやり方になってきた例でした。
Logseqを使った運用に辿り着くまでは色々なツールを渡り歩いてきました。Evernote、Workflowy、Dyanlist、Scrapbox、Roam Research、Obsidianなど色々試した中でこの運用になっています(現在は目的に分けてツールを併用しています)。念の為強調しておきたいのは、ツールを移行してきたこれまでの経験は無駄にはなっていないということです。
Logseqの運用については、これまでの経験があったからできていることが結構あります。WorkflowyやDynalistでアウトライナーの操作は身につけることができたし、Roam Researchのデイリーベースの運用の経験はLogseqとほぼ重なるし、ScrapboxやObsidianによってリンクベースの良さや難しさを理解していました。
そうした経験やLogseqの基本的な使い方や特徴に慣れた結果、他人のやり方を真似ることやツールの使い方に慣れるところに脳のリソースをつぎ込むのではなく、工夫の方に脳のリソースを使うことができるようになって思考が働かせることができるようになったのかもしれません。
もともとは誰かの真似からはじまったことだけれど、自分の工夫が入ってくることで自分のものになっていく。他人のやり方が自分のやり方になっていく。そんなことが大事なのかもしれないというお話でした。