以下の投稿を読みました。
もっと直接的でクソダサい心の中を表現をすると、もっと褒められたいとか、感謝されたいとか、励まされたいとか、身体を気遣われたいとか、そういう自分の人間としてのレベルの低さを自覚させられて、それが凄くしんどいわけです。
どうなんでしょうね。こういう心を持つことがクソダサいなら、たぶん人類皆クソダサいんじゃないかと思います。総じて、人間としてレベルが低い。いや、でも低さとは相対的な指標なわけで、皆が低いならそもそも低いとすら言えなくなりますね。
少なくとも、もっと褒められたい気持ちや、ケアされたい気持ちは私も持っています。これを読んでいる人もそうなんじゃないでしょうか。もちろん、それを口や態度に出すかどうかは別ですし、そういう気持ちがあるにしてもその気持ちが弱いときや強いときもあるでしょう。でもまあ、全体としてはそういう気持ちを持っていると言えるんじゃないかと思います。
感謝など求めずやるべきことをなす人間は立派である、という考え方はもちろん理解できますが、それは絶対にたどり着けない究極の理想像(無限遠点)のようなものであって、そちらにむかって進んでいけたらいいな〜くらいのイメージなんじゃないかと思います。
人は皆、ケアされたい気持ちを持つものである。
もちろん、他の人はそうかもしれないが、自分だけは違うのだ、という考えならば他人がやいやい言う話ではなくなります。でも、そうではないならば、そういう気持ちがあることを認め、また他人についてもそういう気持ちがあることを念頭において行動するというのがバランスがよいかなと思います。