それでもブログをやめない理由
はじめは、「それでもブログをやめない理由」というブログ記事を書こうと思っていました。
というか、実際はそのタイトルの本やムック本を作ることを考えていました。かつてのブログブームでブログをはじめ、今このような状況になってもまだブログを続けている人たちに原稿を書いてもらい、それらを編む本です。面白そうじゃないですか。
でも、なかなか企画というのは進まないもので(なにせ他にも仕事はいっぱいあります)、モヤモヤした気持ちが溜まりつつありました。
だったら、まずはトンネルChannleで書いてみましょう。
なぜ、ブログを書くのか。
「そこにWebの大海があるからだ」
というのは、カッコイイ理由ですが、何も説明したことにはなっていません。もう少し、具体的な記述が必要でしょう。しかし、案外それが難しいのです。何が難しいのかと言えば、動機が絡み合っているからです。かばんの中に入れっぱなしにしておいたイヤフォンのコードみたいに。
一つには、自分の「言いたさ」があります。誰でもいいから誰かに向けて語りたい。そういう気持ちがあるわけです。
もう一つには、単に文章を書くのが好き、という理由もあります。誰にも読まれなくても文章を書くぐらいですから、誰かに向けて文章を書いてフィードバックをもらえればFeel so Goodです。
でもって、環に加わりたいという気持ちもあります。環というのは特定のコミュニティということではなく、このWeb空間ということです。はるか昔、インターネットが身近になってきたとき、こんなにたくさんのコンテンツが存在していることに(しかもそれが無料で公開されていることに)驚きました。しかもそれらは、商業目的ではなく、個人のポランティア精神で行われていたのです。
Webは、人が作っている。
そんな当たり前の感覚は、しかし現代では当たり前でなくなりつつあります。でも、私はその感覚を忘れていません。読み物としてまっとうな記事の一つひとつは、すべて人間の、つまりこの世界に存在する誰かによって書かれているのです。そういう人たちがたくさんいて、直接・間接問わず情報をやりとりしている世界。それが私にとってのWebとインターネットでした。
その場に参加するのに資格は必要ありません。他者からの要請も不要です。それぞれの人が、「これは共有しておこう」と判断した情報を世の中に送り出す。
なんて自由な世界だろうと思いました。でもって、あらゆる自由と同様に、そうした自由もまた、個々人の営為によって支えられているのです。
だから、何者でもない自分が情報をWebに向けて放り投げるのは、私にとってはごく自然なことでした。むしろ、この空間で情報を利用するならば、自分もまた何かしらの情報を投下しなければならない、という責務にも似た気持ちを覚えていると思います。
Webは、片方に権威者がいて、もう片方に受益者がいる、という偏った構造になっていません。そこでは誰しもが、発信者=受信者なのです。そのラディカルさが、マスメディアによって作り出された一億総受信者のような息苦しさから開放してくれました。
現在のWebは、どこかしらマスメディア的になろうとしています。あいだに線を引いて、発信者と受信者を切り分けるような視線です。あるいは、発信者でありながら、その責については受信者でありつづけようという姿勢です。
そういうのって、なんかつまんないと思いませんか。