外ではなく内にベクトルを
「この夏は本格的にプログラミングの勉強をするぞ」
そう思って迎えた夏休み初日、私はこの意気込みを伊勢丹の包み紙で丁寧に包んでゴミ箱に捨てました。よろしくない。全くよろしくない。
よろしくない点は「意気込んでしまっていた」ということ。気合が入ると無駄な力が入り、意地が出てきて、続けることが苦痛になってしまうということを私は部活動から学びました。
だから私は、プログラミングなどという言葉は捨て、自分にとって心地よいカスタマイズをしていくという方針に切り替えました。ツールはScrapboxです。すでにご存知の通り、Scrapboxは自分でcssやらscriptやらを駆使してカスタマイズができる素晴らしいツールです。(逆になぜWordやらなにやらは見た目の変更ができないのかと以下略)
コピペ上等でさまざまな人のカスタマイズを自分のScrapboxに取り入れ、そしてちょこちょこと変更していきます。やっているのはほんの数単語の書き換え。「タグを囲んでいる四角の角を丸くしたいな」と思えばそこからググり、変更するべき点を箇所を見つけ、数字を変えてみる。書き換えと更新を繰り返しながら、ようやく20分かけて心地よい四角が完成します。たった数単語の書き換えですが、胸の底からなんとも言えない達成感を味わいます。
最近は背景の模様をcssで書き換えています。なにやら和風デザインなるものがあるらしく、私はその中の一つ長方形が重なり合っているものに目をつけました。まずはそれを自分のScrapboxに適当に貼り付け…とここで大惨事がおきます。bodyやらbackgroundを無視して適当に貼り付けたところ、Scrapboxがバグりました。エアコンの効いた部屋でダラダラと汗を流しながらようやく復旧。cssの恐ろしさも味わいました。
こうしたことをやってみて一つ気がついたことがあります。これまでは、いくつかの選択肢の中から一つを選ぶ人生でした。オススメのアプリ、オススメの活用法など、いかがでしたかブログを読み漁り、その中で自分にとって良さそうなものを選ぶ。今にして思えば私は、餌を待つ金魚さながら口をぱくぱくとしながら与えられるのを待っていたわけです。
「プログラミングを学べば自分のやりたいことができる」この魔法の言葉に私は憧れを抱いていました。しかし、cssの書き換えをやってみてわかったことがあります。それは、やりたいことができる以前に、やりたいことがなんなのかを考えることはとんでもない労力が必要となるということです。
自分にとっての心地よさを求めることがこんなに大変だったとは。ベクトルを自分の内部に向け、どこまでも自分探しをし続ける。その先で見つけた答えを持ち帰り、cssでようやく表現する。しかし表現ができたころにはなんだかコレジャナイ感を覚える。過去の自分は他人とはよく言ったもので、なんでこれが良かったんだ?となんだか迷宮に入り込むわけですね。そしてあーでもないこーでもないを繰り返し、「とりあえずこれにしておこう」に落ち着く。
「プログラミングを学べば自分のやりたいことができる」やりたいこととは、まるで宝物を見つけたかのように「これだ!」と感じる何かではなく、試行錯誤しながら掴んだとりあえずの妥協点なのかもしれない。今はそんなふうに感じています。しかし自分で作ったソレは、なんとも愛らしくそれはそれで唯一感を味わえるある種の宝物であったりするわけですけどね。


とてもおもしろかったです。
>よろしくない点は「意気込んでしまっていた」ということ。
と
>これまでは、いくつかの選択肢の中から一つを選ぶ人生でした。オススメのアプリ、オススメの活用法など、いかがでしたかブログを読み漁り、その中で自分にとって良さそうなものを選ぶ。今にして思えば私は、餌を待つ金魚さながら口をぱくぱくとしながら与えられるのを待っていたわけです。
の部分、よくわかります。