今年の目標
「1年の計は元旦にあり」
小学生の頃、毎年担任の先生に言われて育ちました。22歳。教師になった1年目。私は同じ言葉を生徒に投げかけていました。
「1年の計は元旦にあり。皆さん、新年に1年間の目標を立てましょう。」
思い思いに生徒は目標を立てます。自分自身もたてました。年が明けたらは目標を立てるものだ。半ば無思考でやってきた慣習ですが、ある時ふと気がつきます。
「果たしてこれまでに、一度でも新年に立てた目標を振り返ったことがあったのだろうか」
生徒に目標を掲げることを強制し、自身も今年はこれを頑張ると宣言しながら。私はこれまでに、一度も目標が達成できたかの振り返りを行ったことはありませんでした。それどころか、その立てた目標もひと月もすれば頭からすっかり抜けているような始末。よろしくない。全くよろしくない。
それからというものの、私は「目標」ではなく「テーマ」というものを掲げるようになりました。
昨年のテーマは「手放す」でした。これまでこれまで当たり前にやってきたこと、こだわりを持ってやってきたこと。これらを手放すことによって、放した手で何か掴めるかもしれない。そんなことを思ってのテーマでした。
昨年まで8年間。私は教師として、手書きで学級通信を発行してきました。毎日です。こだわりを持ってやってきたことでしたが、こちらを手放しました。学級通信の発行をやめたのです。
ボルタリングを想像してみてください。今あなたは力一杯石を掴んで登っています。あなたの両手には必死に掴んできた石があります。手放すとは、勇気がいることです。でも、手放さないと一つ上には進めません。手放すことで次の石を掴むことができるのです。
2022年、様々なものを手放しました。手放した結果。得られるものもあったし、そうでないものもありました。心から満足したかと言われれば、そうでもないしでもやったことに後悔もしてない。
テーマとは判断基準の一つ。私にとっては、革命的な何かがあるわけではありませんが、テーマを掲げることによって今年はこうだったよね、と楔を打つことができるのです。昨年と今年とを区切る楔です。
今年のテーマは「味わう」です。記号的消費に溢れた現代において、流れゆく情報、コンテンツを時間をかけて味わう。そんな1年間を過ごすことで、何か小さな、些細な変化があればいいなと思ってこのテーマを掲げました。皆さんの目標、テーマも聞かせてください。