便利なツールは言葉に乗りにくい
以下の投稿を読みました。
アウトライナーは何にでも使っています。デイリーノート、指針、思いついたことを書く、……。手書きなどの特別な工程を除き、何かを始めるときはとりあえずアウトライナーに書いてみる、と言って良いと思います。
つまり、そういうものを読んでみたかったわけです。
「何かを始めるときはとりあえずアウトライナーに書いてみる」
ほら、もう記事のタイトルっぽいじゃないですか。でもって、「デイリーノート」も「指針」も「思いついたことを書く」も具体的にどんな風に書いているのかが気になります。そういう「使い方」の話に私は興味津々なわけです。
とは言えです。
いざアウトライナーについて語ろうと思っても、言葉がでてきません。
という気持ちもたいへんよくわかります。私だって、あまり投稿が書けていないわけですから。日常的に使っているツール、当たり前に使っているツールほどうまく言葉になりません。これは当然です。なにせ「当たり前に使っている」というのは、使う上で意識の起動が不要な状態になっている、ということであり、言語化には意識化が避けては通れないのですから。
つまり、日常的であり、欠かせないツールであればあるほど、うまく言葉にならないのです。説明が出てこない。
それに比べると、新しいツール、使いはじめたばかりのツールはじゃんじゃん言葉が出てきます。大当たり中のパチンコみたいなものです。そこでは意識がやたらめったら働いているので、言葉になりまくりなのです。
それを考えると、「便利なツール」という言説があふれ返っているツールについては、少しだけ距離を置いた方がいいのかもしれないな、という指針が出てきます。そのツールが便利ではないと言いたいわけではなく、それはまだ「半乾きの言葉」なのかもしれません。判断するのは早すぎる、というわけです。
とは言え、そうして真に便利なツールについて皆が黙してしまうと有用な情報が広まらなくなってしまう可能性はあります。だから私たちは、自分の「当たり前」を再認識し、それをなんとか言葉にしようとする努めが大切なのでしょう。
そこで言葉にされるものは、自分にとって「ごくごく当たり前」のことで構わないのです。むしろ、そうであればあるほど好ましいものです。
半乾きの言葉で語られる新規性ではなく、干し椎茸のように十分にうま味が凝縮した常用性。そうしたものに目を向けていきましょう。