思いも寄らない試験問題の効用
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たしか高校の国語だったか古文だったかの試験のことです。ややこしい問題群をくぐり抜けた一番最後に妙な設問がありました。
「昔話は長い間伝承される中で物語の中身が変化していると思われる部分がある。たとえばそれはどのような部分か、そしてなぜそのようになっているのかについての考えを書きなさい」
おそらくはおまけというか「ゲタを履かせる」ための問題だったのだと思います。なにせ僕らは理系で学んでいたので国語とか古文の授業はメインの戦場ではありませんでした。だからとりあえず何かそれっぽいことを書けば加点できる問題と二行ほど書き込める解答欄を先生の配慮として最後に設置してくれたのでしょう。
なにせその問題は、他の問題と違って「正解」がありません。学んでいた教科書をどれだけひっくり返しても答えは見つかりません。完全に「自由回答」です。
結局僕は、残りの試験時間のすべてを使い、その問題に解答しました。二行などではまったく足りず、解答用紙の裏を丸々一枚使って、「娯楽目的として語られてきたお話が、時代を経るうちに説教的・教訓的な要素を帯びてきたのではないか」という論説を展開したのです。
今から考えれば稚拙な論説だったと思います。少なくともフランスのバカロレアにはまったく及びません。でも、たしかにそのとき僕は「自分の考え」を文章を通して表したのでした。「正解」をどれだけ緻密に模写できるのかを競うのではなく、自分が考えていることをできるだけ説得的に論じる試みを初体験したのです。
その試験が採点されて返ってきたとき、解答用紙の裏面には大きな花丸がついていました。どうやらそんなに真剣に論じていたのは僕だけだったようです。そりゃまあ、そうですよね。たかが定期試験の、たかが一つの問題に過ぎません。しかも、何を書いてもたぶん皆均一の得点をもらえるのです。
でも、解答用紙の裏面を埋め切ったときの感覚、そしてそれに花丸をつけてもらえたときの感覚の二つは、今でも僕の心のかなり深い部分に鎮座しています。僕が自分の考えをブログを通じて公開することに戸惑いよりも期待感を強く感じているのはおそらくそうした体験に寄るところが大きいかと思います。
たぶん問題を出した先生はそんなことになっているだなんて思いも寄らないでしょう。人生というのはなかなか不思議なものです。

