自立
夕食のあと、妻のKさんからきいた、ちょっといい話し。
Kさんは、森の幼稚園の保育や運営を手伝っています。森の幼稚園は固有名詞ではなく、園舎をもたず、森を園舎として活動している幼稚園の一般的な呼び名と思ってください。
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その幼稚園では月1回、お母さんたち(お父さんでももちろんOK)と、その時々の子どもたちのあいだでおこった出来事や、保育士の方が大切と思ったエピソードを伝えながら、子どもたちの成長に両親がどう向きあって行くのかを話しあう場を設けています。この話しあいの場は、森ではなく、その近くにある公民館などの屋内です。
今月の話し合いのテーマは「子どもたちの自立」でした。
進行役の保育士Yさんは、まずお母さんたちに「子どもたちの自立」って何か、お母さんたちに考えを出し合ってもらい、そのために家族が何をできるのかを話しあってもらう形で、ワークショップを進めたそうです。
お母さんたちの考えた「子どもたちの自立」は、自分で何でもできるようになること。
たとえば朝起きたら、自分で服を着替えたり、幼稚園へ出かける用意をできたりすること。ほとんどのお母さんが、これに似た意見だったそうです。
もちろん、それはそれでまちがいではありません。
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しかしKさんが思うに、保育士Yさんの考えている自立は、これとはちがう。
Yさんは、この森の幼稚園で、自分で何でもできる子を育てることを目標にしていないのではないか。
集まりの終わったあとに、Yさんに訊いてみると予想どおりの返事が返ってきたとか。
Yさんが森の幼稚園で子どもたちに伝えようとしている自立は、自分の気もちを自分が理解し、友だちや先生、お母さん、お父さん、他の人たちに伝えられるようになること。
加えて、たとえば悲しくて泣いてしまったり、怒ってけんかしてしまうのは仕方ない。でもそのあとに、自分の心を自分でリカバリーする力をもっていること。
この自立は、たとえばアメリカで仕事をしている友人から聞く、アメリカの人たちが大切にしている自立に近い気がします。
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さらにKさんはつづけます。
Kさんの思う「子どもたちの自立」は、そのYさんの自立ともちょっとちがう。
彼女が子どもたちに育てて欲しい自立は、自分が困ったときに「助けて」と正直にいえること。
森の幼稚園は2才から入園できます。
幼稚園に入ったばかりの多くの子どもたちは、生まれて初めてお母さんから離れ、何だかしらない自分と同じくらいの大きさの人たちのと半日過ごさなければいけません。もちろん、何をしていいか分からない。
その段階の子どもたちは、何かを手伝って上げようとすると、必ずといっていいくらいに「いやいや」をするそうです。
服がびしょぬれになったから着替えるときも、他の人がさわるのを拒絶する。子どもたちの腰よりも高い大きな階段を上るときも、手を引いて上げようとすると、払いのけて自分でよじ登る。
ところが、ひとりふたりと仲間ができ、自分のもってきたオモチャではなく、仲間たちと遊びを考え、いっしょになって遊べるようになってくると、一気にその「いやいや」がなくなってしまう。
いっしょに遊べるようになる最初のステップは、だれかのマネからはじまるというのもおもしろいところですが、これは余談。
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ぼくのしっている範囲では、たとえば木のぼりは、のぼれそうな木を選び、どうのぼるか作戦を立て、それを実行するだけの腕力や体のやわらかさ、バランスよさ、そして恐さとの戦いなど、愉しく遊べるようになるまでにいくつものハードルがあります。
そして、その大切な最初の一歩は、「助けて」といえるようになること。自分より大きくて、木のぼりの好きな仲間や先生たちに「助けて」といえる勇気があれば、少なくとも最初の枝にまでのぼれるようになります。
まずは大きな仲間や先生に助けを希望することから、幼稚園という小さな社会の一員としての一歩を踏み出すワケです。
Kさんによると、「助けて」がいえるようになった子は、他の子を助けてあげられるようになることが多い。
「助けて」がいえない子は、他の子を助けてあげることに気が回らないことが多い。自分を守ることで精いっぱいだから。
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Kさんがこう考えるようになったのは、以前、手話と点字を学んだことが関係しているかもしれません。
これもKさんから聞いたことですが、病気や事故で障害をもつようになった人たちには、最初は他の人に助けられることを受入れられず、頑なに自分ひとりで何かをしようとすることが少なくないそうです。
でも、人間には他の人間から助けてもらう権利がある。それを頭だけでなく、心でも理解できるようになると、そこから大切な一歩がはじまる..。
彼女が、講師の人たちからそう繰り返し聞いたと、少し興奮気味に話していたことを覚えています。
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このKさんの自立の話しを聞いて、ちょっとドキッとしました。
ぼくは、自分が困ったとき、素直に誰かに「助けて」と言えるでしょうか。あるいは、そう言えるほどに、自分の仲間たちを信じることができているでしょうか。
イタイところを突かれた気がします。
ぼくは、森の幼稚園のユーリくん(5才)よりも、自立できていないおっさんなのかもしれません (笑)。

