本の原稿は書けない
これも10分くらいで書きました
とてもよくわかるお話です。
僕にとって、「文章が書けない」ことの原因が、難しく考えすぎてしまって、それがブレーキをかけているということでした。 逆に言えば、そういうことを考えずに書かせてもらえるのなら、思う存分書けるかもしれないと思うのです。
たとえば、トンネルChannelへの投稿などは、本当にちゃちゃっと書けるのです。これまでの投稿もだいたい10分くらいで書いています。R-styleやシゴタノ!だって1時間あれば、2000~3000文字は書けます。もっと言えば、毎週一回一万字ほどのメルマガを615回くらい送信しているわけです。
文章を書くのは、苦手ではありません。恐れず言えば、得意だと言っていいでしょう。
でも、本の原稿はダメです。なかなか進みません。
結局それは、魚住先生がおっしゃられるように「難しく考えすぎて」しまっていることが原因なのでしょう。もう少し言えば「本というのは、立派な文章で書かれていなければならないのだ」という規範性や、「俺が書く本は、こういう素晴らしい本なのだ」という理想が、自分の書く手を留めてしまっているのです。
哲学者の千葉雅也さんが「書かないで書く」とおっしゃられているのは、そうした規範性や理想がひょっこりを顔を出さないように書くことなのでしょう。
まるでツイートのように書く。
まるでメモのように書く。
そのようにすれば、まずは書けてしまう。
もちろん、それでOKというわけにはいきません。しかし、一度書いてさえしまえば、そこからの作業は断然進めやすくなります。だから「とりあえず、書く」。
このコンセプトは、ようするに私が最近実践しているバザール執筆法と同じです。
とりあえず書いて、それを書き直す。そういうことを続けていけば、いずれ「本の原稿に値するもの」ができる。そういう期待に基づいた執筆法です。
そうなのです。私たちはだいたいにして一気に成果を求めがちです。つまり「本の原稿」をそのまま書こうとしてしまうのです。でも、それは無理です。あるいは、限りなく無理に近い行為です。特に、「本」というものに一定の理想を見ている人ならばそうなるでしょう。
「本」にこだわりのない著者はクオリティなど気にせず、とにかくマス目を埋めるだけのような文章を書いて、それで何も思わないでしょうが、私たちは違います。私たちは、やっぱりどこかで理想を求めるのです。
そのときに「理想を持つから苦しくなるんだ。それを捨てたら楽になるんだ」というアドバイスはまったく意味を持ちません。なんなら害すらあります。本にこだわりを持つ、という個性(私らしさと言ってもいいでしょう)を攻撃してくるからです。
そういうゼロかイチかの問題に貶めるのではなく、もっと柔軟に問題を捉えましょう。「難しく考えすぎる」ことが問題なのであって、「難しく考える」ことが問題ではないのです。つまり、程度がここでは重要なファクターになります。
まだほとんど文章を書いてもいないのに難しいことを考えてもうまくいくはずがありません。むしろ、難しいことを考えるのは、文章を書いた後のことです。
でもって、そうやって文章を書いてしまえば、自分で考えるだけでなく他の人(たとえば編集者や友人)に相談することもできます。マテリアルが頭の中にしかないのでは、そうした相談も難しいのです。
だから、本の原稿を書くのは諦めましょう。もう少し言えば、本の原稿を直接書くのは諦めましょう。本の原稿とは、本の原稿とは呼べないものからスタートし、徐々にそれに近づけていくものです。そういう意識を持っていれば、一気集中的に「難しく考える」ことから距離を置けるかもしれません。


