下の続きです。
何を書いて欲しいのかと言えば、「あなたの話を聞かせてください」になるわけですが、これを逆から制定していましょう。つまり、「何をしなくてもいいのか」です。
このメディアは究極的には「メール」です。
だから、PVを上げようと思わなくてよいです。パズりを狙わなくても大丈夫です。現状は平均で50~60人くらいには閲覧されているようですが、それが増えても減っても気にしなくて大丈夫です。誰かは読んでいます。その感覚でいきましょう。
もちろん、アフィリエイトで収益化しなくてもOKです。マネタイズのことは、押し入れの奥の方にしまっておきましょう。そうしたことは、せっせと塾やらサロンやらで学んでいる人に任せましょう。
自分が文章を書くことの楽しさと、それが「誰か」に読んでもらえる嬉しさがあれば十分でしょう。というか、そのポジティブな要素は、現代のネット環境では徐々に得られにくくなっています。それってちょっと悲しいことですよね。
もしこのメディアを「ブログ」だと言ってしまうと、それぞれの人が自分の中に持っている「ブログ」の文脈でこのメディアを批評し、利用しようとするでしょう。はっきり言って、それに反論するのはきわめて面倒です。最終的に「それぞれの価値観ですよね」のような不毛な決着点しかなくなります。
私は「ブログ」というメディアに愛着を持っていますが、その固有名詞にこだわりがあるわけではないのです。自分が文章を楽しんで書き、それが誰かに届くこと。そうした行為と現象を慈しんでいるのであって、それが「ブログ」と呼ばれなければならない理由はどこにもありません。
だからこそ、わざわざSubstackというメディアでこの試みをしています。
総じて言えば、昨今の「ブログ」的なものはまったくやらなくても大丈夫です。もちろん、やりたくて仕方がないのならば止めることはしません。「やってはいけない」のではなく、あくまで「やらなくていい」ことだからです。
PVやら収益化やら役立つことやら目立つことやらが、ネットに文章を上げることに付随する「義務」だと思っているならば、その思いを解体しましょう。解呪しましょう。
えむおーさんが以下の記事のサブタイトルに「こんなふざけたことを書いてよいのでしょうか」と書かれていました。もちろん大丈夫です。むしろ大歓迎です。でもって、こうしたサブタイトルの「遊び」こそが楽しいはずです。
僕たちはいったいどこでこの「遊び」を忘れてしまったのでしょうか。
もっと個人的で、もっとランダムで、もっと遊びに満ちているメディアを目指して。そして、そこから何かが生まれてくればいいかもという期待を持って。