関連して思いついたことを少し。
道具というのは、何かしらアフォーダンスを持ちます。「この道具は、このように使ってね」という示唆みたいなものです。
たとえば、ハサミを見たときに刃の方を掴もうとはあまり思わないでしょう。どういう形にせよ取っ手を握りたくなります。道具の形状が、どう使うか(握るか)という動作を示唆しているわけです。
うまいデザイナーは、想定する使い方がされやすいように道具をデザインします。あるいは、そういうデザインがよいデザインと言えます。この辺の話はD・A・ノーマンがさんざん議論しているのでそちらを参照してもらうとして、ここで考えたいのは「自由に使うという」というアフォーダンスは可能か、ということです。
たとえば「Aのように使いましょう」という意図があるとして、その意図を実現させるデザインは検討可能でしょう(実現可能かはわかりませんが)。
では、それと同様に「自由に使いましょう」という意図を実現させるためのアフォーダンスを生成することは可能でしょうか。
論理関係に固執すれば、これは矛盾を引き起こすように思います。もし、それが可能だとしましょう。だとしたら、そのユーザーは「自由に使いましょう」という誘導に従っていることになり、そのことは即座に「ユーザーが自由に使う」という目標の不達成を意味します。
「自由に使う」ことが、外部からの規定に添わない形で使用することを意味するならば、そのアフォーダンスは原理的に不可能だ、ということです。
この場合、ツールやそのデザイナーにできることは、ユーザーが自由に使うことを阻害しない、ということだけでしょう。誘導はできなくても、邪魔しないことはできます。それはそれで一つの達成ではあるでしょう。
あるいは、別の考え方もできます。「自由に使う」ということの表現を再検討してみるのです。
ここでいう「自由に使う」とは、概ね好き勝手にやるということよりは、「自分の使いやすいように使う」くらいの意味合いでしょう。ツールが規定する方向があるにせよ、そうではない自分の手に馴染む使い方があるならば、そちらを選択することができる、くらいが意味されています。
でもって、そのような方向性であれば、アフォーダンスをデザインすることは可能かもしれません。「自由に」つまり、自身以外に依るものがなにもない、ということではなく、単にそこに提示されている使い方以外が選択可能になればいいだからです。
とは言えです。
ツールが規定する使い方が以外の使い方をアフォーダンスする、というのはこれまた難しい問題です。何かを規定した瞬間にそれは、ツールが規定した使い方に含まれてしまうからです。つまり、何かを示しつつ、示されていない何かにも手が伸ばせるようにしておくこと。そういうアンビバレントなアフォーダンスが必要となります。
「自由に使いましょう」と言葉で言うのは簡単なのですが、それを促すとなると途端にハードルが上がってしまいます。
現時点でこの問題に対する答えは持ち合わせておりません。私のメルマガでも「ノウハウ本」について考えているのですが、それと共通した問題意識になるでしょう。
皆さんのご意見も伺えれば幸いです。
ちなみに、このトンネルChannelの投稿者は常に募集しております。自分も投稿者になりたいという方は、この投稿へのコメントにでもお書きください。
以上です。